音楽を聴いていると、しばしば“何かが降りている”ような神秘的な感覚を味わうことがある。それは例えば、Bob Marleyのレゲエが、黒人の皇帝をジャー(=ヤハウェ=聖書の神)としたアフリカ回帰の思想と、黒人解放や差別撤廃を訴える、ラスタファリズムを伝えるものであった、というような歴史的かつ宗教的背景を持つ音楽を聴いたとき(僕にとっては「ガンジャ〜」とか「ラスタファ〜リアン」と声が入るダブも同様だ)。あるいは、Ras Gが宇宙へと飛び立ち、“DOWN 2 EARTH”と言って現実へ戻ってきたり、Flying Lotusが『Cosmogramma』や『You’re Dead!』で死後の世界に足を踏み入れたような、アーティストの思想が我々を聴覚から未知の世界にいざなう音楽を聴いたとき、だ。
それぞれ降りてくるものが異なっていて、前者のレゲエに関しては、やはり妙なリアリティが伴う。僕はあまり聴かないが、ゴスペルもレゲエの “降りている”に近いものがあるのではないだろうか。
この日の法隆寺宝物館前には、先に述べた両方の種類の何かが降りていた。しかし何が降りていたかはわからない……。イベントのタイトルが指している『The Garden Beyond』——“向こう側”とはどこのことだったのだろうか……。
楽器と機材にとっては、あいにくの雨だった。が、雨は、DJ Krushと和匠が法隆寺宝物館前に降ろしていたもののひとつだ。決して雨乞いをしていたわけではないと思うが、鳳笙、篳篥、尺八、和太鼓による調べは実に神秘的で、雅楽が用いられた日本古来の儀式を想わせるものがあった(和太鼓は雷鳴を表現する楽器として、実際の雨乞いの儀式には欠かせなかったそうだ)。DJ Krushがイントロ的にプレイしたヒグラシの鳴き声は雨に風情を与え、宝物館前に配された人口池にできる波紋、柳に雨が染み込んでいく光景は格別に美しくなり、雅楽を始めとする芸能が、もともとは神に奉納するためのものであることを強く実感させられる。
そこにリズムがあるのかどうか、グルーヴを感じるかどうか、誰が演奏を主導しているのか……あらゆることの判断が、極限までオーディエンスに託されていたように思う。目の前の演奏が全て終わった後に頼れる記憶は、演奏中に自分自身が何を追っていたのかによって形作られるということを非常にシンプルに突きつけられていた。しかし、宇宙を想起させるDJ Krushのプレイにグルーヴを見出そうとすれば、意識を果てしなく飛ばされて(もしかしてそこがGarden Beyondだったのかも……)、雅楽におけるカウントとタイミングをはかってみれば、それはDJ Krushの宇宙の中ではより未知なるものである。
この宇宙は視覚的にも惹かれる部分が多い。和太鼓を叩くフォームを美しいと思ったのは初めてかもしれない。尺八を構える姿も凛としてスマートだ。そして、鳳笙は城のようなフォルムをしている。鮮やかな色のライトアップは音の世界観をよく表現している……。
終わった後の法隆寺宝物館はやけに物寂びしかった。感じたことのないものを感じた。観たことのないものを観た。それだけがただただ身体の中に残っていた。
(Text by Hiromi Matsubara)
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DJ Krush ライヴレコーディング@The Gallery of Horyu-ji Treasures
コラボレーションに際して撮影されたドキュメンタリー映像