AIRへと向かう道中で目に入る、選挙ポスター風にデザインされたRed Bull Music Academy 2014(以下RBMA2014)の広告は、〈DOHYO-IRI〉(土俵入り)への期待を募らせるにはぴったりだ。2011年に震災の影響により一度RBMAの東京開催が中止になっているため、〈Dohyo-Iri〉は、単にRBMA2014のスタートを飾るセレブレーションではない。RBMAに関わっているスタッフはもちろん、RBMAのファンには3年越しの“やっと”という想い、プロジェクトへの気合いや愛情が込められた特別なセレブレーションなのだ。そして、Kerri Chandler(ケリー・チャンドラー)のパフォーマンスは”特別な夜”を体現していて非常に素晴らしかった。
まず、話はKerri Chandlerがブースに入る2時間前。早速メインフロアでは、RBMA2014参加生のひとり、ロンドンからやってきたOssie(オシー)がファンキーなハウスでフロアを熱くしていた。Ossieは、ソロでは〈Hyperdub〉からEPとシングルをリリースしていて、Black Orange Juiceというグループの活動でも注目されているUKのアップカマー。終始プレイのベースにあるのはハウスだが、時折4/4キックの間にアフリカンな不規則なリズムを織り交ぜたり、UKファンキーやUKガラージのような強めのキックを入れてメリハリをつけて、こちらの身体をグッと刺激する。フロアのペースを狂わせるよりむしろ自然と段々とヒートアップいていくような、一定のペースを保ち、時間を使ってグルーヴを着実に太くさせていくようなプレイだった。Ossieのプレイにフロアで1番反応していたのはやはり黒人で、その黒人のリアクションがみるみる激しくなっていったのは、ブースとフロアとのソウルの交信を目の当たりにしているようだった。
(他のフロアでは、これまたRBMA2014参加生のマイアミのギャングスターことMickey de Grand IV、日本からはDJ Nori、MURO、Kikiorix、Monkey Timersがプレイをつないでいったそうですが、僕は終始メインフロアに釘付けでした、すみません!)
Ossieがプレイを終えると、いよいよKerri Chandlerがブースに登場。引き続き4/4キックがフロアで渦を巻く。まだ20歳の僕がこう言うのも変だが……Kerri Chandlerといえば、やっぱりディープ・ハウス。ソウルやディスコをバックグラウンドにした、ソウルフルで、ファンキーで、ジャジーで……という、オリジナルのハウス・ミュージックのイメージがある。オリジナルのスタイルを形成するのに関わったプロデューサーとまで伝え聞き、彼の作品を聴いてきた。実際に体感してみても、ベテランのソウル・シンガーのような体格の彼が、たまにトラックを回しながら、右脇に設置されたシンセサイザーをノリノリで弾くために黒さが余計に濃く出ている以外は、彼の作品を通して受けるイメージと大きく変わらない。
先ほどまでプレイをしていたOssieがかけたトライバルなものや、Disclosure、Kyle Hallや、Ikonikaの最新のアルバム、〈Mister Satureday Night〉や〈L.I.E.S.〉からのロウ・ハウスと呼ばれる作品を通して、2010年になるかならないかの頃から今現在までの間に僕がリアルに体験しているハウスとは、当然異なるフィーリングを持っている。微妙に知識が入っているせいもあり、家で聴いていて、オリジナルに近いハウスを決して新鮮に感じるというわけではないが、しかしこうしてフロアに来てみると不思議なのは、20〜30年前のスタイルの音楽だからそれは古いとか懐かしいとか、これがオリジナルなのか、といういう感覚がよくわからなくなってくる。フロアで一緒に盛り上がっている周りの僕より全然歳上のオーディエンスは、”やっぱりこれだよな”なんて懐かしむなんてことは一切無いように見えるし、Kerri Chandlerがここ数年の間にリリースされたトラックへと繋げても変わらず歓声は上がる。そういう人たちを見ていると、ここ最近のハウスが、こうしてKerri Chandlerがプレイしているオリジナルのハウスへの敬意だの何だのという意図的なリバイバルであるか、自然な循環であるかという話なんて考える隙間はなく、自然と常に最高のフィーリングでフロアに居続けることができる。そこに最高のフィーリングがあり続ける限りは、何も腐ってないんじゃないか。僕はわけもわからず、本能的にもっとキックが欲しい、ハイハットが欲しいとスピーカーに近づいていって、繰り返されるヴォーカルを聴き取っては真似して口ずさんでみたりする。
Kerri Chandlerのプレイが始まってから、間も無くフロアは人でいっぱいになった。その後、フロアのボルテージが最高潮に達して少し経ったぐらいだったか、僕はいきなり「カワイイネ!」と頭を撫でてきた初対面の外人(男性)と乾杯をした。僕は特にそういう気はないし、向こうにもそういう気はなかったようで、ただただ談笑をしていると、彼は「どうしてみんなもう酔っぱらってるんだ。まだ良い曲が全然かかってないじゃないか。もっと良いのをプレイしないとノれないね」とやや流暢な日本語で、笑いながらDJとフロアのオーディエンスに対して意外に厳しい指摘をした。確かに、常にピークが訪れているような少し異様な盛り上がりだったが、Kerri Chandlerも決してプレイの中で押し引きをしているような感じはない。ソウル・ミュージックのリミックス、ラテンのリズムを用いたトラック、ディープ・ハウス……とそれぞれ種類の違う高揚感を味わえるものをミックスしていて、ハイを越えた先にあるハイになっていてわからなくなっているのかもしれないが。「今夜は特別なお祭りだから仕方ないよ」。
しばらくすると今度は、フロアで出会っちゃった男女やカップルが酔って愛を育み始める。何時間もこういう音楽を聴いていると、そういう気持ちになるのもわからなくない(かもしれない)。駅の改札口脇だと少し複雑な気持ちになる光景だが、こうしてソウルフルなメロディーを反復させるハウスが流れている場所では、自然とロマンティックなシーンに映る。今年惜しくも亡くなった、Frankie Knucklesはディスコ・ミュージックとハウス・ミュージックで多くの同性愛者をサポートした、という話を思い出す。Frankie Knucklesが70年代にプレイしていたクラブ〈Warehouse〉にもこういうロマンティックな愛が溢れていたのだろうなと、ハイを越えたハイになっている僕はぼんやりと考えていた。
(Frankie Knucklesが70年代に〈Warehouse〉でプレイをして同性愛者をサポートした後の80年代の話も非常に大事なのでDazzle DrumsのNagi氏の『「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」──フランキー・ナックルズの功績、そしてハウス・ミュージックは文化をいかに変えたか』を読んでいただきたい。出典:ele-king)
さすがにエンディングへと向かうにつれて人は減ったが、それでも最高のプレイのエンディングを見届けようという人がフロアにはたくさん残っている。が、終わらない。Kerri Chandlerのプレイはエンディングを迎える気配がない。どこまでが彼の想定内かもよくわからないし、彼のペースももうしばらくの間全く変わらない。
プレイがさらに続くにつれて、徐々に人が減ってフロアにスペースができていくが、Kerri Chandlerが曲をかけ続けるならまだまだ盛り上がれる、という人が30人近く残っていた。一見すると我慢比べのようでもあるが、ブースのDJとフロアのオーディエンスが共に抱いているのは紛れもなくハウス・ミュージック、ダンス・ミュージックへの愛で、それ以外の何ものでもない。あまりに短絡的でどうかと思うが、あの現場を目の当たりにして思うのは、”愛だな”しかない。お腹いっぱいになった僕は、まだまだ盛り上がろうという30人から抜けてAIRをあとにしたが、どうやらセレブレーションはその後もしばらく続いたそうだ。
(Text by Hiromi Matsubara)
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Kerri ChandlerによるRBMA Radioミックス
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Ossie ライヴレコーディング@AIR