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INTERVIEW | YRDLeo


1stアルバム『COLORFUL』で提示した自身のバックボーンと新たな“色”

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2025.12.10

1999年生まれの若きラッパー/シンガーのYRD Leoが1stアルバム『COLORFUL』を本日12月10日(水)にリリースした。

2020年に“Model”で鮮烈なデビューを飾り、“Bye”をはじめ数々のバイラルヒットを残し、Z世代から多くの支持を得るYRD Leo。自身初のフルアルバムとなる本作には、dodo、JAGGLA、テークエムといった個性豊かなラッパー陣が客演参加。これまで得意としてきた繊細かつ叙情的な表現だけでなく、アフロビーツやエレクトロニックなサウンドも取り込んだ、多彩なカラーを展開するアルバムに仕上がった。

今回のインタビューではYRD Leoというアーティストのアイデンティティがどのように構築されていったのか、自身のキャリアの出発点からこれまでの足取り、そして待望のアルバム制作の裏側について語ってもらった。

Interview by Takazumi Hosaka
Text by Nozomi Takagi
Photo by Koya Yaeshiro


YRD Leoのルーツとバックグラウンド

――アルバムについてお聞きする前に、まずはYRD Leoさんのこれまでの歩みについて教えて下さい。ヒップホップを聴くようになったのはいつ頃からでしたか?

YRD Leo:プロデューサーのkitと仲良くなってからですね。高2のときにクラスが一緒で、僕の前の席がkitだったんですよ。彼が軽音楽部でバンドをやっていたから、僕も徐々にアンダーグラウンドな音楽が好きな友だちともつるむようになって。その影響で、ポップスじゃない音楽を聴き漁るようになりました。

――kitさんと知り合う以前は?

YRD Leo:いわゆる誰もが聴くようなポップミュージックや、親が聴くおしゃれな洋楽を家で耳にする程度でした。

――高校時代、特に記憶に残っているアーティストや作品は?

YRD Leo:KANDYTOWNがめっちゃ好きでした。初めてライブを観たアーティストもKANDYTOWNなんです。大阪のTRIANGLEっていう老舗の箱まで観に行ったんですけど、衝撃的でしたね。

ちなみにそのときのイベントで、オープニングアクトだったのがNO NAME’SのREViくん。そのライブを観た3年後くらいに彼と知り合って、“With feat. REVi”を一緒に作ることになったから、当時の縁は今の活動にも繋がってるんだな、とつくづく感じます。

――音楽活動を始めたのも高校のときから?

YRD Leo:全然です。高校のときは野球だけでした。だからこそ、音楽をやっている友だちの存在は常に刺激的で。僕にはできないことをやっている姿に、憧れていました。音楽を始めたのは、大学に入ったタイミングからです。高校の友だちに「ラップやろうや」って誘ってもらって。最初は本当に遊びの感覚で、ラップとDJを練習していました。

当時はSoundCloudでもトラップが主流だったので、自分もトラップ調のビートに合わせてラップしていたんです。でも、何となく自分の性格に合ってない気がして……。

それよりもむしろ、いろんなアーティストがライブで中盤くらいに差し込むような、メロい曲に惹かれることが多かったんです。それこそXXXTentacionも大好きでしたし。それで「こういう曲を作ってみたい」と思って生まれたのが“Model”です。人生で2〜3曲目くらいに作った曲でした。


ルーツに対するリスペクトと葛藤

――自身に適してた音楽性を掴むまでのスピードがめちゃくちゃ早いなと思いました。

YRD Leo:“Model”はびっくりするくらいスラスラ書けたんです。自分の中でバチっとハマった感覚があって、「僕の得意とするスタイルはこれだ!」って素直に納得できました。たぶん、僕自身がヒップホップ一筋なタイプではなく、バンドの音楽もたくさん聴いていたから。メロディを歌うことに対しても、抵抗がなかったのかもしれないです。

あと、“Model”は周りの友だちからの反応もめちゃくちゃよくて。それで大阪の若いアーティストをどんどんフックアップしていたDexFilmzにイチかバチかで音源を送ってみたら、DexのTSURUくんから「めっちゃええやん!」って言ってもらえて。自信作ではあったのですが、まさかこんなに多くの人に聴かれるとは思いませんでした。

――“Model”で人生がガラッと変わった、と言っても過言ではないですね。

YRD Leo:何かに「本気で取り組んでみたい」って思ったのは、人生で初めてでした。それまで勉強や習い事も「ぼちぼち、普通に」取り組む程度だったんです。高校まで打ち込んでいた野球に対しても、音楽の友だちができた途端に自然と離れていったし。だからこそ“Model”に対しては、生きてきたなかで一番の手応えを感じました。

何より嬉しかったのは、“Model”がリリースされた直後、JAGGLAさんがInstagramのストーリーズで、僕の曲をシェアしてくれたこと。自分の尊敬する人が僕の曲を聴いて、シェアをしてくれたというのが信じられなくて。そのときは友だちとピザを食べてたんですけど、インスタを見て「うわー!」ってはしゃいだのを覚えてます(笑)。

――先ほどおっしゃっていた通り、当時のヒップホップシーンはトラップが主流でしたよね。トレンドの中心ではない音楽で挑むことに、葛藤はありませんでしたか?

YRD Leo:正直な話、長らく不安はありました(笑)。“Model”は多くの人が聴いてくれて、実際にライブでも歌ってくれるけど、モッシュが起きたりわかりやすく盛り上がるわけではないし。やっぱり自分のルーツはアンダーグラウンドなコミュニティであり、コテコテのヒップホップなんです。そのルーツに対するリスペクトはずっと変わらない。だからこそ、スタイルは違えど、自分の根の部分を信じながら、いろんな人に聴いてもらえるようなスタイルを模索しようとも思っていました。

――その不安が払拭されたのは?

YRD Leo:“Bye”をリリースした翌年、2022年にSPACE KUMAMOTOに行かせてもらったとき、予想以上にたくさんの人が来てくれたんです。泣いてくれる子とかもいて、「このスタイルで続けていいんだ」って、やっと思えたというか。

ただ、そこに至るまでにも色々あって。少なくとも“Bye”をリリースするまでは、BPMもキーもわかってない音楽初心者だったから。音楽制作の基礎を作るところから、まずは始まったんです。


1曲に注ぐ熱量と情熱、片道3時間半のスタジオ通い

――そもそも“Model”をリリースした時期というのは、音楽をどうやって作っていたんですか?

YRD Leo:独学も独学ですね。デモの作り方も知らなかった。“Model”のときはバイトの暇な時間にアカペラで全部メロディを作りました。手のひらにリリックを書いたりしながら(笑)。隙間時間にYouTubeを開いては、アカペラに合うタイプビートを探したりして……。

――レコーディングはどのように?

YRD Leo:大阪のEQUAL Studioで先輩たちにミックスやマスタリングについて教わりながら、何とか完成させました。“Model”以外の曲も、メロディを思いついては、姫路のHLGB Studioで形にする……を繰り返して。大阪から電車で片道3時間半くらいなので、移動中にメロディを忘れないように頭の中で反芻したりして。

……そんな感じだったから、“Model”が出た直後に『AbemaMix』に呼んでもらったときなんて、オートチューンのキーをずっと外しながら歌ってました。めっちゃ恥ずかしかったです(笑)。

――まさに衝動のまま作っていたというか。

YRD Leo:ただ知識がないなりに、自分の中で「これだ!」とイメージできる音はあるんです。“Bye”も自分の持っているお金を全部使い、スタジオを4件ハシゴしてレコーディングしました。リリックやフレーズ、音作りに至るまで、全力で向き合って、自分が一番納得のいく形で録れた音源をリリースしたくて。

最終的に、最後に行ったHLGB Studioでの音源を使用しているんですけど、それでも「さよなら」の「さ」の音が気に食わなかったから、それを録り直すためだけに片道3時間半かけてもう1回スタジオに行ったりして。ちょっとあの当時は異常だったかもしれません(笑)。2分ちょっとの曲だけど、制作に半年かかってるので。

――“Bye”はなぜそこまで大きな熱量をもって制作に挑んだんですか?

YRD Leo:当時は曲を作っては没にして、を繰り返していた時期だったんです。大学4回生で、周りが就活に励んでいた時期でもあったので、「次に出す曲を聴いてもらえないようだったら、普通に就職しようかな」なんて思っていました。

――1曲にそこまでの熱量と時間を捧げると、何が正解がわからなくなりませんか? 「曲の完成」はどうやって見極めているのでしょうか。

YRD Leo:今でもそうなんですけど、「これ以上は手の加えようがない」って悟る瞬間があるんです。逆に「この音を直せばよかった」って心残りがあるうちは、まだ完成ではないというか。今でこそコンスタントなリリースを目指すようになったけど、当時は「ペースが遅くても着実に、完璧な曲だけをリリースしていこう」という意識がありました。


「いろんな色を出すアルバムに」──JAGGLAとの制作を通して固まった方向性

――“Bye”がスマッシュヒットしたことは、Leoさんにとっても大きなターニングポイントになったと思います。音楽との向き合い方にはどのような変化がありましたか?

YRD Leo:いろんな現場にも呼んでもらえるようになったことで、まずはお金をもらうことに対する責任に意識的になりました。音符も読めないしキーもわからない。ペンとノート、スマホだけで作り続ける。そんな状況のままでは、応援してくれる人に申し訳ないなって。そこで、“TWO”を制作するタイミングでkitに相談して、一緒に音楽を作ってもらうようになりました。

――kitさんに声をかけた理由は?

YRD Leo:音楽のことも自分のこともよく知っている、相談のしやすい友だちだったからです。ビートメイクはもちろん、今ではファッションのスタイリングもお願いしています。僕、ファッションについては本当に無頓着で(笑)。

ただ、関わってくれる人が増えれば増えるほど、自分の考えとは違った方向に進んでしまったりして、悩むことも増えました。何曲かkitと一緒に曲をリリースした頃から「このままで大丈夫か?」って不安になることもあって……。

――そういったピンチをどのように抜け出したのでしょう?

YRD Leo:続けることに限界を感じ始めたタイミングで、いまサポートしてもらっているワーナーミュージックのスタッフさんと出会って。自分の活動について相談するうちに、「1stアルバムを出そう」というアイディアが固まってきました。ワンマンライブに合わせるつもりで作った“Prologue”を起点に、自分のバックボーンを表現するようなアルバムを作ってみよう、というように方向性が定まったんです。

――“Prologue”はアルバムありきで生まれたわけではなかったんですね。

YRD Leo:完成したときは、特にアルバムのことは考えてなかったですね。でも聴き手側に「僕はこういう人だよ」と伝えるための曲だったので、自ずと「アルバムに入れるなら1曲目だな」とは感じました。

あと、アルバムでは「新しいスタイルにも挑戦する」っていうのもテーマのひとつとして考えていて。というのも、僕の親がよく「どの曲も似てる」って言ってくるのが気になってて(笑)。

親の言いたいことも何となくわかってはいたので、チームで話し合いました。たとえば、「夏の曲を作ろう」っていうアイディアからできたのが、アフロビーツを取り入れた“GIRL feat. JAGGLA”。仙台のMionくん(YoungBeats’s Instrumental)が作ってくれたビートを聴いた途端に、まさにJAGGLAさんの顔が思い浮かびました。

自分のヴァースを乗せた状態で、JAGGLAさんにパッと音源をお渡ししたら、しっかりと意図を汲み取っためちゃくちゃいいヴァースが戻ってきて……本当に感激しました。

――“Prologue”での自己紹介に続き、キャリア初期にフックアップしてくれたJAGGLAさんとのコラボレーション曲が生まれた、と。まさに点と点が繋がるような感覚ですね。

YRD Leo:JAGGLAさんとの制作を機に、自分のカラーバリエーションを一気に広げられるようにもなりました。いい意味でリスナーを裏切れる構成が見えてきたというか。それまでも、kitが作ったビートのキーから「オレンジ色っぽい」みたいにカラーを連想することはあったので、『COLORFUL』っていうタイトルの通り、いろんな色を出したアルバムにしようって、JAGGLAさんとの制作を通して方向が固まりました。

――他フィーチャリングアーティストとの共作についても教えて下さい。“scroll (feat. dodo)”はdodoさんがビートの制作も手がけていますが、彼にはどういったオーダーを?

YRD Leo:dodoさんとtofubeatsさんの“Nirvana”って曲が大好きで。ああいうシンセポップのような音で、失恋ソングを書いてみたくて、ビートメイクも含めフルプロデュースをお願いしました。何度かやり取りをするうちに、僕のやりたかったビートをバチっと提案してもらえた瞬間があって。元々ファンだったこともあり、感無量でしたね。

――アグレッシブなビートが印象的な“RudeBadBoy”には、梅田サイファーのテークエムさんを迎えています。

YRD Leo:“RudeBadBoy”は、最初にkitと話し合いながら、ハイパーポップの路線でビートを制作していたんです。試行錯誤していくうちに突如、メカっぽいビートが生まれて(笑)。フレーズを考えるうちに「テークエムさんのヴァースがこの曲に乗ったらおもしろいよね」とアイディアが膨らみ、そのままオファーさせていただきました。


実体験からくるリリックのオリジナリティ

――“Rude Bad Boy feat.テークエム”は、冒頭の「RudeなBadBoy」というヴァースが印象的です。今話しているYRD Leoさんの誠実な印象を裏切るような一節で。

YRD Leo:kitと話しながら生まれたフレーズだと思います。この曲に限らず、リリックの1行目は慎重に選ぶことが多いです。曲に引き込むための入口だし、よりインパクトのある言葉を選ぶよう意識しています。

でも普段はトラックから膨らませることもあるし、お風呂の中でポロッと生まれたようなメロディからリリックを生み出すこともあります。なかなかリリックが出てこないときは、私生活がぐちゃぐちゃになるほど悩みますけどね(笑)。“SIGN”を書いていたときなんて、もはや自分が何をしているのかもわからなくなったくらいでした。

YRD Leo:アルバムの中だと“River”とかは、スラっと生まれた気がします。ハイパーポップ的な曲を作っていたときに生まれたメロディをギターで弾きながら、思いついた言葉を合わせてみたんです。そのときに出てきた言葉を拾って生まれました。

――弾き語りでできた曲。Leoさんの中では珍しい作り方ですね。では完成まで苦戦した曲はありますか?

YRD Leo:“love letter”は最後に作ったんですけど、めちゃくちゃ悩みました。桜色というか、暖かくてポジティブな1曲をアルバムに差し込みたいと思い、ラブソングを作ることにしたんです。

特にこの曲はフックをワンヴァースで書かずに、2ヴァースで書くこと自体がチャレンジングでした。情景を思い浮かべられるくらい細かく表現するには、その方がいいかなと思って、がっつりラップしてます。

YRD Leo:失恋ソングを書いたことはたくさんあるけれど、ラブソングはSALUくんと一緒に作った“ギフト (feat. SALU)”以来。もうヴァースを書いては消してを繰り返して……。

――ラブソングのどういうところが難しかったですか?

YRD Leo:ラブソングって思ってることをそのまま書くと、結構臭くなるというか……自分で引いちゃうんですよ。加えて、自分の実体験をいかにみんなが共感できるように表現するかの塩梅も難しくて。伝わりやすいことばっかり書いててもおもしろくないし、自分のことを書きすぎても伝わらないから。

――実体験をリリックの中に取り込む、というのはいつ頃から意識していますか?

YRD Leo:それこそ“Bye”をリリースしたあたりです。それまでは「リリックを書く」というより、言葉を音として捉えながら音楽を作っていたんです。でも、長く付き合っていた恋人と別れたときに「失恋の曲ってどう作ればいいんだ?」ってふと気になって。RADWIMPSなどの曲を聴きながら研究して、初めて「リリックで聴かせる」ことのおもしろさに目覚めたというか。

……とはいえ全部が全部、実体験というわけでもないです。ドラマを観たり、人の話を聞いたり……他のアーティストの作品からインスピレーションを受けることが特に多いと思います。ライブの前は客演の方の音源ばっかり聴いてるし(笑)。

ただその中で、曲の表情や伝えたい部分には、自分のオリジナリティをしっかり出したい。自分の実体験をどう出すかは、常に意識しています。


「1曲1曲、自信を持って音楽をリリースしていきたい」

――今回、曲数はフルアルバムとしてはややコンパクトな印象がありました。この9曲に留めた理由は?

YRD Leo:“love letter”を書き終わったときに、「ああ、これでアルバムを締めれる」って感じたんです。これ以上、無駄に増やさないようにしようって。結果として、想定通りカラフルな一作に仕上がったと思います。

――過去のインタビューでは「悲しい時や気分が落ちたときに音楽を聴く」とおっしゃってましたが、今回のアルバムでは自身でもおっしゃる通り「暖かい色味」の曲──ポジティブなヴァイブスの曲もあって。音楽の聴き方も変わったのではと感じました。

YRD Leo:たしかに、これまでは明るい曲をあまり聴かないタイプだったのですが、ちょっと変わったかもしれません。実際、この1〜2年で僕自身の性格も明るくなった気がするんですよね。だからアルバムにもそういう色が反映されたのかなって、

――明るくなったのは、なぜだと思いますか?

YRD Leo:本当にシンプルな話で、昔はいろんなものに囚われ過ぎていたんです。「曲を出すペースを保たなきゃ」とか「自分自身を表現しないと」とか。“Bye”や“TWO”をリリースして、再生数は伸びてるけど、自分自身の人生は特に変わらないし、上手くいってる気もしない。いろんなことを考え過ぎていて、アルバム制作前は純粋に音楽を楽しめなかった時期もありました。

そこからアルバム制作などを通して、自分なりのやり方を見つけた。……今日お話していて、自分のコンディションがいいことに改めて気づきました(笑)。

――今年はDJとバンドセットという2部構成でのワンマンライブも開催しました。今後、ライブでみせていきたいスタイルや、何か構想していることはありますか?

YRD Leo:バンドセット、やっぱり楽しかったです。楽しすぎて、当日衣装として着ていた革ジャンを会場に忘れてしまうくらい(笑)。テンションがずっと高かった。たぶん、憧れもあったんですよ。高校時代の「音楽をやってみたいけど、やれない自分」が報われるというか。これは止められない気がします。

その一方で、「これは原曲で聴きたい」と言ってくれる声も大事にしたい。ライブの映像や音源を振り返ると「バンドセットの方がいい曲」か「原曲を活かすべき曲」かで分かれるので、kitとも相談しながら、使い分けできればいいなと思っているところです。

YRD Leo:あとは「いろんな世代に聴いてもらえる曲を作る」ことが僕の最大のテーマですね。今年はKviちゃん(Kvi Baba)の武道館ワンマンにも刺激をもらいました。昔から知り合いだし、同い年でもあるので。自分もあそこに立ちたいし、そのためにはもっと頑張らないといけないなって。引き続き1曲1曲、自信を持って音楽をリリースしていきたいです。今よりもっと。


【リリース情報】


YRD Leo 『COLORFUL』
Release Date:2025.12.10 (Wed.)
Label:Warner Music Japan
Tracklist:
1. Prologue
prod by kit

2. scroll (feat. dodo)
prod by dodo

3. Angel
prod by kit

4. Over
prod by kit

5. RudeBadBoy feat. テークエム
prod by kit

6. GIRL feat. JAGGLA
prod by YoungBeat’s Instrumental

7. River
prod by kit

8. love letter
prod by kit

TRACK 1,5,7,8 Mix:Musashi Maruyama
TRACK 2,3,4,6 Mix:Syoki Tanimura
Mastering:Masato Morisaki(TinyVoice,Production)
Recording:kit, G.B.’s Studio, CLAPTEE, STUDIO LIFT, cosaqu, STUDIO COSMIC BASE

配信リンク

■YRD Leo:Instagram / X


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