FEATURE

Interview / Seiho


「日記」「他人」「決断」「崩壊」ーーSeihoによる3年ぶりの待望の新作『Collapse』のコンセプトを解き明かすロング・インタビュー!

2016.05.20

個人的に、Seihoというアーティストは、非常に自身を客観視することに長けているアーティストだと思っている。
特定のシーンに身を置いたり、特定の音楽的潮流をフックアップすることはせずに、常にそれらと絶妙な距離感を、意図的に維持し続けてきたようにみえるからだ。
だからこそ、この2016年というタイミングで出す新作については、正直事前段階では全く予想がつかなかった。

Flying Lotus主宰レーベル〈Brainfeeder〉の異端児とも呼ばれるMatthewdavidがオーナーを務めるレーベル〈Leaving Records〉よりリリースされた本作『Collapse』は、自身のレーベル〈Day Tripper Records〉よりリリースした1stや2ndに比べ、より一層その参照点を見つけ出すのが極めて困難な、高い独創性を擁しているだけでなく、作品全体を通しての統一感の強い、コンセプチュアルな作品のようにも思える。

常にシーンにおける存在感は提示していたものの、アルバムとしてはおよそ3年ぶりとなったこの奇妙かつ愉快な傑作を紐解くべく、Seihoにインタビューを敢行した。

Interview By Takazumi Hosaka
Photo By Yuma Yamada


—最初に、新作とは全く関係ないのですが、先日急逝したPrinceは、Seihoさんにとってどういう存在だったのかをお訊きしてもいいですか?

う〜ん、ムズイなぁ〜。なんやろなあ……(笑)。
最初は……親が聴いてたっていうのと、あとPrinceの記憶ってこう……ライブ映像かMVのビデオテープみたいなのが家にあって、それを結構観てた気がするんですよね。それでまぁ、中学校とか高校に入ってくるとPrinceって認識してて。

—ご両親はジャズだけじゃなくて結構色々なものも聴いてたんですか?

父親はジャズ好きなんですけど、母親と出会った頃ぐらいが丁度85年とかなんで。PrinceとかMichael Jacksonが一番勢いあった時というか、ディスコ全盛期みたいな感じだったので、そういうのもたぶんあって。
で、そんなに頻繁に車乗る家じゃなかったんですけど、年に3、4回しか乗らない、みたいな。でも、その3、4回の時に結構長く乗るんです。Princeはそういう時にかかってたイメージがありますね。

—旅行みたいな。

そう。そういう時にぼくと弟とおとんがそれぞれミックステープを作って、それを行き帰りに聴くみたいな感じで。そういう時にPrince聴いてたなぁ……。

—先日SoundcloudにUPした、ehioroboとのPrinceのカバーはデータのやり取りで?

そうっす。なんかあの日はあの曲(「Adore」)を聴いてて。ぼくがやっぱりPrinceを一番聴いてたのが中学校ぐらいなんですよ。なんていうんですかね、こう、中学生の自分が”小学校の時の懐かしい感じ”を聴く、みたいな。
間隔的にはめちゃくちゃ短いんですけど、なんか小学校の時に旅行とかで聴いてたなっていうのを、中学校ぐらいで懐かしくなって、改めて聴いてた時期があったんです。2枚組のPrinceのベストが出てて、それであの曲をめっちゃリピートして聴いてたのも中学校ぐらいの時の思い出としてあるんすよ。
で、あのニュースが出た時ぐらいに何人かからメールがバッときて。「どう?」っていうかなんていうか、「悲しいね」みたいな。

—海外のアーティストからってことですか?

そうそうそう……。

—結構色々なカバーが出ましたもんね、色々なアーティストによる。

なんかこう、カバーするっていうよりかは、情報共有として「知ってる?」みたいな。FacebookのチャットとかLINEとかで向こうのアーティストとかから結構連絡がきてたんですけど、そういう話をしてた時に、ehioroboと「なんかやる?」みたいな感じになって。
なんかぼくの方が今ちょっと作れそう、パッと作れそうなタイミングだったんで、ちょっと一回コード進行とドラムだけ作って送ってみたんです。送ったら次の日のお昼ぐらい、向こうの夜中の1時ぐらいにボーカルが返ってきて、「これイイやん!」ってなって、ぼくがちょっとイジって公開しました。

—なるほど。ではそろそろ今回のアルバム『Collapse』についてお訊きしたいのですが、前作リリース時、別媒体のインタビューで「バラバラに作り溜めていった楽曲の中から取捨選択するような形で構成していった」という話をしていたと思います。今作の楽曲構成っていうのも同じような感じで?

そうっすね。でも、前のアルバムはどっちかっていうと、バラバラに作り溜めてたっていうのもちょっと違くて。前の方のバラバラに作ってたのは、言ったらライブとかでやったりするやつで……普段から作ってる中で、ライブとかのために作る曲と、作品用で作る曲というのは分かれるじゃないですか。

—はい。

前作はそういうのをあまり考えずに、その時のモードで作っていたのをとりあえずアルバムに入れた、みたいな感じなんです。でも、今回はどっちかっていうと、そこまでもいかないような作品が多くて。「日記ぽい」っていうか。

—「日記」ですか……?

普段から「作品にしよう」とか「ライブで使おう」とか思って制作してるんですけど。例えば、ライブの前日とかに仕込みをしてる時に、「あ、ちょっとこれのビート強くしたの作りたいな」ってなって作ってたら「あ、これでもう一曲作れる」みたいな感じで、どんどん派生していって作品ができたりするんですけど、今回のはもうちょっと「何作ろうか」っていうのがバラバラになっちゃってて。
なんかこう「今4つ打ち作ってもなぁ」とか「今こういうビートもの作ってもなぁ」とか、そういう「今これやってもなぁ」みたいなのがあまりにも増え過ぎて。だから、そうじゃなくて、本当に自分が単純に聴きたいモノを、なんていうのかな、毎日食べるご飯みたいに作る、みたいな。

—なるほど。本当に日記みたいな。

本当に日記ですね。昔からそういうのと自分の音楽活動は分けてたんですよ。なので、高校〜大学ぐらいの、電子音楽でキッチリ音源を作るっていうことをやりだした時ぐらいから、なんかこう3〜4曲固まったらCDRに焼いて、ジャケット作って、とりあえず棚に入れとくみたいなことを結構やってて(笑)。

—それは誰かに渡したりとか、あげたりとかはせずに?

せずに。自分のレコード棚に自分の作品を溜めていく、みたいなのがめちゃ好きで。今回もそういう感じの作品がいっぱいあるんすよ。なんかそういうのを特に聴き返すこともなく、そのまま2014年、2015年で色々作り始めて、なんか「こんな感じかぁ」みたいな状態だったんですけど、2015年の真ん中ぐらいにある程度まとまってそういうのを聴くタイミングがあったんですよ。ぼくのその……合宿っていうか、スタジオに入ってた時があって、その時に聴き返してたら、「なんかこれ、一個の作品として出しといたほうがいいかも」っていう感じになった。

Seiho3

—それは大阪の地下一階の時のスタジオですか?

そうそうそう、地下一階。

—今作に収録されている「Plastic」や「Peach and Pomegranate」は、ライブで定番というか結構使われてるじゃないですか。
そういった曲は作品全体のバランスを取るじゃないですけど、前作でいう「I Feel Rave」みたいな立ち位置なのかなっていう気はしてたんですけども。

いや、でもあれが肝っていう感じでもなく、あれもオマケですね。どっちかというと、その次、3曲目にある「Edible Chrysanthemum」とかの方がメインなんですよ。ぼくの中では。あとは「The Vase」ってラスト一個前もアルバムのメインの曲。

—ライブで使ってる曲を入れるっていうのは、作品で初めて知るような人に対する、ライブに来てもらうための動線みたいなものもある程度意識したのかなって思ったのですが。

う〜ん……あんまりそういうことは意識してないですかね。ただ、ライブの形態を変えたいなっていう意識はめっちゃ強くあって。
なんかこう今までやってきたことを続けると、例えば夜中のクラブで全員スタンディング、みたいな方向が増えがちじゃないですか。それももちろんいいんですけど。でも、なんかこうぼくの音楽の楽しみ方をもうちょっと取捨選択したいっていうか。しかもなんか、そういうのに向かない時もあるじゃないですか、音楽自体が。
だから、例えば日曜日の昼間の16時とかぐらいから全員着席の会場で、1時間半とか2時間くらいショーをやる、みたいな方向とかも模索したいなっていうのもあって。そういう意味でライブの見せ方を変えたいなっていう意識はあったかもしれないです。

—それこそ、リリパのフルバンドセットもそういう考えからってことですか?

うん、そうですね。逆に一個のことやるのがめっちゃ苦手で。

—同じようなことをやり続けるという意味で?

そうそう。なんかこうどっちかっていうと、色々なことをやってるんだけど結果的に同じことやってる感じになるっていう方が好きで(笑)。
だからなんか、職人的に同じことを繰り返して技術を高めていくっていうのにあんまり興味がないっていうか、ぼくはそういうの苦手なんですよね。

—ちなみに今作の曲は1st、2ndとは違って、曲名がほぼほぼ固有名詞だけになってるのが気になったんですけど、それはさっき言っていた日記みたいな話に帰結するのでしょうか?

これ、コンセプトとしてめっちゃ長くなる話なんですけど、今作を作っていた時が2014年〜2015年くらいで。あの、なんていうか、一回2013年ぐらいに「何かが終わったな」っていうのがあったんすよ。ある程度掲げていた目標を達成してしまった。

—そうですね、以前“apostrophy”の時のインタビューでおっしゃていたような、「みんなで旅行に行けた」みたいな話ですよね

そう。結局あの時の話になるんですけど、2014〜2015年はやっぱり冬の時期やったんすよね。実りもないしなんもないけど、なんこう蓄えをちょっとずつ崩しながら生活する期間、みたいな。でもそれが悪いわけじゃなくて、なんかその間に次の準備したり、やっぱ寒かったら外出しないじゃないですか。だからか知らんけど、なんか去年はホンマに大阪の連中とむっちゃ喋ったなあって思ってて。
たぶん、おれ人生の中で一番喋ったんちゃうかって思えるぐらい、metomeとかokadadaさんとかトーフくんとかと喋って。それこそ”INNIT”のメンバーとかとも。
人生であんなに喋ったのはたぶん初めてだし、みんなで集まって喋るっていうのが久々やった。でも、なんかそれも冬の時期特有の、良かったことかなみたいなのもあって。
で、そん時ぐらいにこうずっと考えてたのが、”一番近い他人”を探すっていうことで。これが2014年、2015年のテーマにあったんすよ。でもこれ、難しいんですよね。毎回インタビューで言うんですけど、なかなか伝わんなくて(笑)。
なんか一番自分に近い感覚の他人の決断を信じてみる、みたいなことなんですよ。例えばぼくが次どんな曲を作るかを、もう他人に委ねてみるとか、そういうことをずっと繰り返していこうって思ってた時があって。それこそコラボしたいなって思ったのもそのぐらいの時期からなんですよ。
決断をちょっと他人に任せてみて、決めていく。そん時に一番遠い他人に選択をお願いするのが、言ったらちょっとポストモダン的な発想というか、モダニズムから外れて全く別の視点を入れてみるみたいな感じなんですけど、それでこうモダニズムが歴史的な方みたいな、この両面あって。で、この中の選択でいうと一番自分に近くて、モダニズムを理解してて、それでいながらもポストモダン的観点の人みたいな。それが誰なのかっていうのがあって(笑)。

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サイモン・フジワラっていうアーティストがいて、今年も日本で展示会をやってたんですけど、ぼくは今回も観に行けなくて。2013年か2014年の終わりぐらいにも展示会があって、それを別の人の作品に興味があって観に行きたかったんです。でも、行けへんかったから遠くから色々調べてたんですよ。そしたらサイモン・フジワラの作品が目に入って、それを観た時に結構衝撃で。作品自体は部屋の中に陶器とかが割れてる状態で置いてある作品なんですよ。
その作品の解説っていうか、ビデオがまた別にあって。サイモン・フジワラはイギリス人のお母さんと日本人のお父さんのハーフで、イギリスに住んでる。けど、お父さんとは離婚して子供の頃に別れてて、お父さんは日本に帰ってきてるんすよ。そしてサイモン・フジワラは大人になった時に、お父さんに会いに行こうって決断するんですよ。それで会いに行く前に2週間くらいの期間、俳優を雇ってお父さんに会う予行演習をするんです。俳優にお父さんの資料を前もって渡しておいて、お父さんになりきってもらう。空港とかに行ってサイモンが「お父さん……!」って言うと、俳優も「おぉ、久々やん」とか言ってて。そんで2人で日本の観光とか一緒の共同生活を2週間くらいするんすよ。
で、その予行演習の最後の日に、サイモンがその俳優に「最後にあなたに一つだけ決めて欲しいことがあって、それは陶器をお父さんへのお土産で持って行きたいんですけど」って。お父さんが昔から大好きだった、民芸運動とかと関わりが深いイギリス人陶芸家のBernard Leach(バーナード・リーチ)っていう人がいて、有田焼とか日本の食器とロイヤル・コペンハーゲンみたいなイギリスの陶器を掛け合わせたような作風の作家さんなんです。それは言ったらサイモン自身のことも意味してるわけですよ。イギリスと日本の掛け合わせっていう点で。
もちろんその作品は超高級なんですけど、自分が一生懸命バイトしてそれを買ってくるんです。で、それとは別に、唯一残っているお父さんとの思い出が二人で陶器を焼きに行ったことらしいんですけど、その時に2人で焼いた陶器がある。それで「この2つの陶器のどちらかを持って行きたいので、どちらかをあなたに割って欲しい」っていうお願いをするんですよ。

—……なるほど(笑)。

で、実際に展示されている作品は大量に皿が割れてるっていうモノで。これ観た時になんかこう、決断っていうのはこれぐらいの感覚で決まっていくんやな、っていうのを感じて。
俳優はお父さんの思い出とかを共有してるけど、でもその俳優はイギリス人だし、しかも日本に行ったわけじゃなくて、イギリスで日本の観光を予行演習してるだけ。さっき言った陶器はサイモンが頑張ってバイトして買ったもので、高価だし、しかもお父さんが好きだったっていうのと、ハーフの自分を表しているっていう深い意味もある。でも、もう一方は実際に父親と一緒に焼いたモノで、唯一無二のモノだしっていう……。
それで、なんかあらゆることの選択とか、例えばこう、いつ結婚するかとか、原発どうするかとか、戦争なぜなくならないとか、こういうこととかも一個の答えがポンとあるんじゃなくて、これぐらい複雑なことなんじゃないかって。
みんなの思い出とかみんなの思い入れ、みんなの価値とか、あと全体の価値とか。ただ、そこで判断できるのは本人でもお父さんでもないのかもしれんみたいな。
本人とかお父さんやったら「いや、そんな10歳の時に焼いた陶器よりこっちの方がいいやん」ってなるかもしれないし、「いや、でも2人の思い出として、やっぱりこっちの方が大事だ」ってなるかもしらんけど、でもやっぱり本当は2人が決断するべきじゃないのかもしれない、みたいな。
その俳優ぐらいの距離感の人が決断することによって、何かしら新しい視点というか、もうちょっとこう……「本当に正しい」っていうのはないにしても、「正しい」に最も近づけるのはそういう人たちなんじゃないか、みたいな(笑)。

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……そういうことがキッカケで、他人のことを考えてる時期があったんですよ。その他人を考える時期の時ぐらいに、ぼくがそういうこと考えながら音楽作ってると、どうしても音楽って先に行くんすよね、感覚より。
「こういうの作りたい」ってなって作るっていうよりかは、こういうのが出来たってことは、「今、自分はこう思ってるに違いない」みたいな。

—出てきちゃった、みたいな。

そうそう、先に行っちゃうから。そうやって繰り返して曲を作ってると、2014年〜2015年ぐらいにみんなと喋ってたっていうのも大きいと思うんですけど、ぼくの考えてる一番近い他人を選択していくと、結局誰もいなくなってしまうっていうところに行き着くことが多くて。
なんか、人がいない世界にポンって行ったんですよね。一番近い他人っていうのがいないっていうのは、言ったら全員自分って思ってるみたいな考えと、だから自分しかいないっていうのが2個分かれてるんですよ。
結局一番近い他人を探して行った時の選択っていうのが、自然だったりして。最近ぼく花が好きやったり石が好きやったりするのはそういうことなんですけど、自然の環境が産み出している選択とかの方が、一番近い他人の選択なんじゃないかって。

—それは自分に近いんですか?

ぼくにとっての一番近い他人。だから他人っていったらどこまでも他人はいるじゃないですか、その中で一番近い他人。でも自分とは違う。
だからその、家族が他人なのかどうか、子供は、恋人は他人なのかどうかとか、逆にそういう人たちよりも自分の音楽をめちゃくちゃ愛してくれてる海外の人たちは他人なのかどうか、みたいなところでいう、一番近い他人。
家族は家族で、それはもうぼくのこと好きな人は他人じゃないかもっていう。仲間みたいな。そういうラインで分けていくと、ぼくは結構、案外人のこと信じてるんやなっていうか、結構人間のことは全員仲間に入れちゃうなっていう。動物とかも仲間に入れちゃって、最終的に環境しかなくなる、みたいな。自然とか環境が行う選択ぐらいが、自分にとっての一番近い他人になるのかなって。

ー変な質問になっちゃうんですけど、その自然や環境が行う選択っていうのは具体的にどういった事象ですか?

ぼくにとってたぶん自然って言ってた部分は……蛇口をひねったら水道水って出てくるじゃないですか、コンビニ行っても水って売ってるじゃないですか。そういうことなんですよね。ぼくにとっては同じ現象なんですよねこれ。コンビニの店員もぼくにとっては自然と一緒なんです。自然の塊、みたいな。
逆に言うとだから、人を完全に遠ざけてる話なんですよね。だけどもっと言うとそこまでも自分に含めているっていう、なんかこう両面ある話なんで難しいんですけど。だからなんか、そやねんなあ、順応性みたいな話になってくんのかなあ。誰に選択されるかって言うたら、順応性に従うみたいなことか。

—その選択を音楽制作にどうやって反映させていくんですか?

選択を反映させるっていうよりかは、一番近い他人を探すみたいな。

—探す過程、探すために音楽作るというか?

例えばぼくが今回弦の弾く音を入れた時に、そこから人間性を極限まで削るとか、管楽器の音が入っててもそこからブレスの音、息の音だけをなるべく消すみたいな作業をしてたっていうのは「あ、こういうことか」みたいな。
それは、言ったら楽器を吹いてる人を思い浮かばせたいんじゃなくて、楽器をそこに置きたかったっていうことにすごい集中してたりしてて。あと、今回フィールド・レコーディングした音を結構入れてて。でもそのフィールド・レコーディングは2パターンあって、一つは自分で録りにいったものなんですよ、それは、すごい自分の近しい人たち、例えばもう恋人とか、apostrophyのメンバーとかで山とかに行った時に録った音を入れてて。もう一個は映画のサウンドライブラリーから。それで同じ間隔で同じ鳥が鳴くように入れてあったりするんすけど、これとかも言ったらぼくたちにとっての環境音はそれぐらいでしかないのかもしれん、みたいな、映画のBGM程度っていうか、鳥っていうのは自然に鳴いてると思ってるけども、そうじゃなくてマジでもうコピーされたもの。コピー&ペーストされたものとそんなに変わらんっていうか、逆に言うとそっちの方がぼくにとっては思い入れがある。だって実際に遊びに行った時の音だから。
だからぼくが聴いたら「懐かしいな〜あん時川行ったな」ってなるんすけど、でもそれは映画のサウンドライブラリーとリスナーにとっては関係ないじゃないですか。それが……マジで関係ないなっていう(笑)。

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……なんかマジ関係ないなってなっちゃうんですよね(笑)。ジャケットのCGも花の方は本物で花瓶がCGなんすよ。CGの方に後から影をつけてて、なんか影がないとあれは完全にCGだってわかっちゃうんです。影があるから本物っぽく見えるんですよね。
で、こっちの花は匂いがしない花を選んでて、なんかこう……「花やのに匂いせえへんってヤバいな!」っていう(笑)。
これやったら造花と一緒じゃないですか、いや、一緒じゃないですけど!(笑)
でも写真に撮っちゃうと本物の花かどうかって全然関係ないし、言ったらこっちがCGかどうかっていうのも全然関係ない、みたいな。

—その境界線を曖昧にしたかった?

境界線が……そう、曖昧になればなるほど、逆にその境界線がめちゃくちゃ際立ってしまうみたいな。
じゃあなんで(わからないのに)本物の花使ったんかっていう意味がめちゃくちゃ強く出てしまう。

—なるほど。

ぼくは結構そういうのが好きで、今モジュラー使ってるのとかもそうなんですよ。「アナログ・シンセサイザーをよく使ってますけど、アナログ使った感じはどうですか?」みたいな質問をよくされるんです。でも、そういうのはぼくにとってはめっちゃどうでもよくて。アナログかデジタルかとか、境界線が関係ない。でも、だからこそ今日アナログ・シンセサイザー触ってたってことが大事、みたいな。
今日は部屋でチマチマ作ってたから、ソフト・シンセ使った。っていうのの、「今日ソフト・シンセ使った」っていう部分が大事、みたいな(笑)。
 
結局その起こりうることはすべて偶然で、選択したぼくの決断こそが大事、みたいな。そういう方向性の話になってくるのかな。
それがさっき言ったみたいな自然の順応性みたいな話に繋がってきて。環境っていうのは目まぐるしく変わるし、他人の意見とかもいっぱい飛んでくるけど、その中から「あぁ、それめっちゃぼくの意見に近いですね」とか「あぁ、じゃあぼくここ住みたいです」とかっていう「ぼく」の決断が結局大事になってしまう、みたいな。
それはさっき言ってた一番近い他人の話からいうと真逆の話なんですよ、真逆の話じゃないですか。

—そうですね。

他人に決断を求めた結果、最終的に自分の決断が大事っていう結論に至ってしまったっていう……ぼくの反省、みたいな(笑)。
でも、たぶんこっからはうまく帳尻はあっていくんかな、みたいなのもあって。

—他人に委ねちゃった決断と、自分の決断が最終的には折り合いがついちゃうってことですか?

そうそうそう、折り合いがついていくように、持っていくのかな〜みたいな。
めっちゃスピッてる話なんですよ。自分の決断こそが他人の決断でした、みたいな。これ、めっちゃスピッてる話(笑)。
スピリチュアルな話とかも、みんなとよく喋ってた2014年〜2015年くらいの時に結構してて。やっぱりこう、これはインタビューで使えるかわかんないですけど、キリスト教っていうのは決められた運命に向かって徳を積んでいく話じゃないですか。今日ぼくがこれしたのは将来のこれに向けてですっていうのを、一個一個積んでいく。
でも、ぼくだったら将来っていうのは無数に可能性としてあって、大事なのは今日何したかだけ、みたいな。今日何したかっていうのが明日の選択肢に繋がってて、っていう方の考え方。
で、スピリチュアルってこの思想が強いんですよね。自然っていうのは災害もくるし恵まれることもある、みたいな。だけど、その時に自分が何をするかっていうことを考えることの方が大事っていう。将来そうなることよりも。
なんか結構そういう話かなあ、今回のアルバムは。これ言うとめっちゃ難しくなんねんな〜(笑)。

—なるほど。では、2013年に一回みんなで旅行に行ったっていう話が出て、2014年、2015年は冬の時期とのことでした。では、既に4ヶ月ほど経ちましたけど、2016年はどういう時期になりそうですか?

船は動き出したんですけど。

—そうですね、アルバム出ましたしね。

でも、やっぱり、「思い出」って大事やったな、みたいな(笑)。

—出発してはみたけど……。

……後ろ髪引かれることが結構ある。なんていうんすかね、そういうのはマイナスだと思ってたんすよ。この前とあるイベントに出た時に、楽屋が同窓会みたいで。

—Twitterで呟いてましたもんね。

そう、なんかTwitterでは前向きに書いたけど、ぼくの中では結構悲しくもあったんです。で、その時同じイベントの別ステージに若いアーティストたちも出てて。その子らは楽屋の後ろの方でキャッキャしてて、ぼくたちはこっちにいる。「あ! ついに年取ったな!」みたいな(笑)。
そういうのをぼくは結構マイナスに捉えてたんですけど、もしかしたらこっからの船の準備として、こうやって同じ時期を過ごした仲間と、一緒に昔話しをしながら楽しくやっていくっていうことも大事なのかなって。そこを完全に切って「いや、おれはもっと新しい世界に行く」っていうことよりも、やっぱり一緒に船に乗ったメンバーと「あんとき楽しかったよな〜」って言いながら次の旅に出るのも悪くないなあという時期に、ちょっとこの2、3ヶ月なってて……。

—なるほど。ちなみに、そういう仲間たちは、今も一緒に舟に乗っている感覚なんでしょうか?

いや、これ難しくて! 怒られるかな、こんなん言ったら……。僕の中ではやっぱり戦士っていうか、仲間は多いほうがいいじゃないですか。次の戦いに向けて(笑)。
今までってこう、同世代の中で戦ってればよかった。いや、戦いじゃないんですけど、競い合ってれば良かった。でも、1回目の旅が終わると、マジで60代70代ぐらいのアーティストさんたちと戦う、競い合う時期がパッと来る。そこに入ったらやっぱりどうしても個人の力ってのがすごいデカくなるんです。でも、それよりもやっぱり同世代の感覚もひとつ持っておきたいというか、結局それが大事やな、みたいな。だから船に一緒に乗ってはないけど似たような船っていうか。

—並走してる、みたいな。

でもまぁ船に一緒に乗ってるやつもいっぱいおるんかな。やっぱり。

—環境に判断を委ねたくなったという話に繋がるのかなとも思ったんですけど、今作はボイス・サンプルがすごい減ったなというのは思っていて、そういうのも人間味を消したかったのかなと思ったのですが。

それは結構そうかな。僕が聴き飽きたっていうのもあるし、あとなんか声ってこう、すごい耳が持っていかれるじゃないですか。
今回はなんか、「どれも聴こえないし、全部聴こえる」みたいな曲にしたいのが多くて。なんかボーカルがあると、伴奏とボーカルっていう。

—構成が分かれちゃうというか。

はい。けど、ぼくの意図としてアルバムはなんかこう、1回目聴いたのと2回目聴いたので曲変わってない? みたいな。
耳の持っていかれ方が何通りもあるから、ここに注目してたら、実はこういうビートで鳴ってたんか! みたいな。こういう風に聴いてたら、こう聴こえるんや! とか、それこそこうハイな時とチルな時でも聴こえ方が変わる、みたいなのを上手く使いわけようと思うと、主旋律は必要なかったんですよ。

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—なるほど、すごくわかります。

でもまあ、こっから次の作品作るにあたって、主旋律っていうか、メロディー・ラインとかボーカルも大事やからたぶん、この聴き方をみんなが理解してくれたらボーカルが入ってても……いや、っていうかインストとかビート・ミュージック聴いてる人って、ボーカルものでもバック・トラック聴いてたりするじゃないですか。
なんかたぶん、こっからもうちょっと……一般のリスナーっていう言い方は悪いですけど、ボーカル入っててもSeihoが作った曲はこっちとこっちを聴き分けられるんやな、みたいなのが、このアルバムで明確になれば、ボーカルが入っててもその聴き分けはしてくれるようになるのかな、みたいな期待もありつつ。

—ライブでもそういう聴き方を望んでいますか?

これライブは……別かな。別なんですよね。難しくて。ライブって一体感あんま必要なくて

—前もおっしゃっていた、1人になるというか、1対1が無数にある。

そうそう。1対1が無数にある状態が良くて、だから聴こえ方とか聴き方っていうのは、1対1のトークなんで変わってくると言えば変わってくるんですけど、そのガイドとしてのぼくの動きがあったりするじゃないですか。ぼくの動きがメロディーになっちゃうっていうか、ガイドになっちゃうからある程度の操作しかできなかったりする。
そこももうちょっとね、座って聴くようなライブが増えたり、調整はしたいんですけど、そういうのになった時に聴き方が変われるように作れればいいんですけど……。
やっぱ現状はクラブ・タイムでやってて、ライブとかを見慣れてるお客さんと、クラブで遊んでるお客さんとか混じったりするイベントだと、踊り方がわからんとかになるから、ぼくが「ここでノる音楽です」っていうのをガイドしてあげないとみんなあんまりついてこれなくなっちゃうんで、その部分はやっぱり悩みつつあるんですよね。

—あと、個人的には「Deep House」という曲が印象深かったです。そもそもなんで「Deep House」っていうタイトルなんだろう? っていうところも含めて。

あれはめっちゃ好きな曲なんですけど、元々ハウスやディープ・ハウスとかって、繰り返すことを目的として進んでいくじゃないですか。
さっき言った”人がいない世界”みたいなのは、言ったらディストピア的な話で、未来の話なんですよ、自分にとっては。で、その世界においてAI(人工知能)がハウス・ミュージックをずっと研究していったらああなっちゃうんじゃないか、みたいな。繰り返すっていう要素を、機械が理解できひん、みたいな。音色とか雰囲気だけを捉えて、機械にとってはあれは別の係数での繰り返しになっていて、ぼくらはドラムが均等に4つ鳴ってるっていうのがハウスだと思ってたけど、なんかこうどんどん解釈が変わっていって、ディープ・ハウスって呼ばれるような音楽があんな感じになるんじゃないのかっていうのが、最終的にぼくが作った時に思ったことなんです。
作る前はどっちかっていうと、同じ音を繰り返すっていうのがめっちゃダサいなって思った時期があって……「キックの音4個とも一緒でずっと鳴り続けてるんクソヤバいやろ」って(笑)。
全部の音が乱雑に、いや、乱雑にじゃないけど、4つ打ちとはまた違った規則性に沿ってその1音1音違う音が鳴ってたら楽しいな、みたいな(笑)。
作る時はそんな感じなんですよね。ディープハウスの音色をバーっと取ってきて、自分でも予測できないぐらいに並べるっていう作業。あれほんとはもっと長くて。15分ぐらいの曲だったんですけど、そっから「あ、ここからここぐらいで切ったら気持ちいい」みたいな感じで切って、それを何回も何回も聴いてるとさっきみたいな話に繋がるなって。

—今回タイトルだけ唯一固有名詞じゃないというか、「崩壊」という意味の言葉ですよね。これは一曲目で、オープニング・ナンバーみたいな感じだと思うんですけど、これはアルバムに並べた後の印象というか、イメージが後から来たんでしょうか?

アルバムの1曲目「Collapse (Demoware)」っていうのが先にあって、これを作った時に「そうか!」ってなったんすよ。「今まで作ってたやつを、こういうテーマでまとめられるぞ!」って。
今までぼくが日記的に作ってたのは、さっきみたいに「今これやってもしゃーないな」とか、「今これやってもあそこの真似だと思われるしな」とか、「今これやっても楽しくないな」みたいなのがいっぱいあって、何作ったらいいんやろっていうのを繰り返してたような感じで。
これは、言ったら単純に壊す作業なんですよね。でもぼくはそれを「Break」っていう表現じゃなくて、「崩壊」っていう風につけたかった。それはなんとういうかなぁ、ぼくが壊したわけじゃないというか。

—崩れ落ちたというか。

そうそう。それこそが自然、みたいな。壊すっていうのは明らかに意思がある。誰かの思いや怨念、執着もある。
けど、崩壊っていうのは気づいたら壊れてる。ぼくが日記的に作ってたものが崩壊を産んでた、崩壊に繋がってたのかもしれない。これは単純に言ったらぼくらの人間の生活も同じ話で、さっきの人がいない世界の話とかにも繋がるんですけど、誰かが社会を壊したわけじゃなくて、ぼくたちの単純な生活の営みが、結果的に崩壊に向かってた、みたいな。
でもその崩壊っていうものは、ぼくの中ではマイナスの意味じゃなくて、「崩壊してよかった、次生まれてくる」みたいな感じなんですよ。やっぱりある程度成熟してくると、成熟、崩壊、成熟、崩壊を繰り返さないといけないなって。でもその時に誰かが意図して成熟させたり、壊したりするのはあんまりぼくは好きじゃなくて。自然に育って、自然に還って、自然に育って、自然に還ってが繰り返されていく世界っていう意味ですかね、『Collapse』は。

Seiho1


【リリース情報】

seiho-cover

Seiho『Collapse』
Release Date:2016.05.18(Wed)
Label:BEAT RECORDS / LEAVING RECORDS
Cat.No.:BRC-509
Price:¥2,200 + Tax
Tracklisti:
01. COLLAPSE (Demoware)
02. Plastic
03. Edible Chrysanthemum
04. Deep House
05. Exhibition
06. The Dish
07. Rubber
08. Peach and Pomegranate
09. The Vase
10. DO NOT LEAVE WET
11. Ballet No.6 (Bonus track only for Japan)

Format:日本盤CD(ライナーノーツ封入/ボーナス・トラッ ク追加収録)
[ご予約はこちら]
beatkart:http://shop.beatink.com/shopdetail/000000002025
amazon:http://amzn.to/1RMCuAO
Tower Records:http://bit.ly/1SnmmIj
HMV:http://bit.ly/1Tl7Q4G
iTunes:http://apple.co/1QB19cr

商品情報:http://www.beatink.com/Labels/Beat-Records/Seiho/BRC-509/


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