FEATURE

INTERVIEW / 御厨響一(鋭児 / 鯱)


鋭児のフロントマンとしての苦悩と目標──御厨響一が見据えるこの先の景色

2023.06.01

鋭児のライブを初めて観たとき、最初はそのフロントマン・御厨響一の存在感に圧倒されたのを強く覚えている。そのパフォーマンスは少し古い言葉で表現すると“カリスマ”や、ある種の“超人的”なもの感じさせるものだった。

しかし、御厨響一という人間を知れば知るほど、言葉を交わせば交わすほど、ここまで“人間臭い”人はそうそういないと感じる。まるで子供か、もしくは漫画の主人公のようにピュアで衝動的。それが故に苦笑せざるを得ないエピソードも多くあるのだろうし、虚構が渦巻く現代において多大なる生きづらさを抱えているのではないか。

今回はそんな御厨響一の単独インタビューをお届けする。バンド・メンバーと共にいるときのアッパーな彼とはまた異なる表情、そしてどこまでも不器用で愚直に音楽と向き合う姿勢が伝われば幸いだ。

なお、本稿執筆時点で彼は足を骨折しているが、その理由は「フジロックへの出演が決定したことが嬉しすぎたから」。こんな人、他にいますか?

Interview & Text by Takazumi Hosaka
Photo by Takahiro Takanami


精神的なブレ、自身の中に生じた矛盾

――EYESCREAMのインタビュー、すごくおもしろかったです。

御厨:いやー、自分としてはちょっとトチったなって思う部分もあって。というのも、あの時期、自分が何のために音楽を作ってるかとか、そういう部分がブレちゃってたタイミングでもあって。

――それはあのインタビューのタイミングが? それとも「PANORAMA WORLD」を制作した時期?

御厨:たぶん両方ともですね。今は少しずつ戻ってきてる感覚があるんですけど。

――その精神的なブレが起きたのは、何か原因やきっかけがあるんですか?

御厨:当たり前っちゃ当たり前のことなんですけど、バイトをしながら音楽をやってたときの方が人と波動が合ってた気がするんです。そもそも自分が音楽を始めたばかりの頃って、自分の大切な人や仲間が落ち込んだりしてるときに、直接じゃなくてもそいつの助けになればっていう思いだったり、あとは大切な思いを記録して、共有するっていう感覚だったんです。

そこから気づいたら活動の規模が大きくなって、こないだは初のワンマン・ツアーをやって、ありがたいことにソールドアウトして。そうやって月日が過ぎていくうちに、自分が音楽を通してメッセージを伝える対象が身近な仲間からリスナー、ライブに来てくれるオーディエンスに変わっていることに気づいて。自分にとって“仲間”っていう言葉はすごく生々しくて深い言葉なんです。だから、もう一度初心に立ち返った方がいいのかなって思うんです。

――それこそ、初期の頃はライブを観に来る人も友だち、いうなれば仲間ばかりだったわけですし。

御厨:そう。ただ、それが数百人規模になっていくと、一人ひとりにフォーカスできないんですよね。全員と交友関係を築きたいけど、無理だなって思っちゃう。「Fire」に《全ては俺らの出逢いだろ》っていう歌詞があるんですけど、そういう気持ちで歌っていると、自分の中で矛盾が生じてくるような感じがしてくるんですよね。

――そういった気持ちが芽生えたのは、ワンマン前後辺りから?

御厨:去年、年間で100本くらいライブやったんですけど、その折返しくらいかな。たぶん、50本目からくらいだと思います。

――でも、そこから今は立ち直りつつあるんですよね? どのように落とし所を見つけたんですか?

御厨:開き直りに近いかもしれません。広いところに目掛けるのではなく、自分の大切な人へ向けて曲を書くっていうのはどう足掻いても変えられないなって思ったんです。

――極めてパーソナルな感情が込められた作品が、多くの人たちからの共感を集めたり、“自分の作品”として受け止められるというのは、優れたポップ・ミュージック足り得てる証なのかなとも思いました。

御厨:そうだったらいいんですけど。

――それと、めちゃくちゃピュアなんだなと。ここまで真摯に、正面から向き合ってると、かなり疲弊してしまいそうだなって。

御厨:確かにめっちゃ疲れますね(笑)。ただ、自分のキャパシティをちゃんと理解することは大事だなと思いました。できないことを言ったり約束することはやめよう、とか。でかいこと言って、ケツを拭けなくなるのは違うなって思いますし。

――でも、そういう“ケツを拭く”、言ってしまえば責任を持つという部分は、スタッフや他の人に任せてもいいのでは?

御厨:うーん、でもずっとスタッフをやってくれているナオ(近谷直之)の負担が大きくなっているのも見てて感じるし、そこに対して無責任にはなれないというか。もちろん彼も仲間だし、音楽以前に人としてちゃんと筋を通さないとなって思うんです。

――なるほど。

御厨:例えば、俺が尊敬しているアーティストのひとりである常田大希さんは、自分自身の世界観を表現しつつ、周りの人への筋の通し方がすごくカッコいいなって思うんです。言ってしまえば“人間ができている”というか。そういうところが自分にはまだ足りてないのかなって。

――めっちゃ真面目ですね(笑)。

御厨:真面目なんです(笑)。不良のイメージ持たれてるかもしれないですけど。


御厨響一のスタート地点

――さっき、音楽を作り始めたばかりの頃のお話が出ましたが、そもそも御厨響一としての音楽活動はどのように始まったんですか?

御厨:11歳の頃から芸能事務所にお世話になっていて、そこから10年ちょい役者としても活動していたんです。そこで仕事をしていく中で、自分が悪いのもあるんですけど、ちょっとノイローゼ気味になっちゃって。すごくお世話になったし感謝もしてるけど、事務所を辞めて、両親に「俺は音楽で食っていく」って伝えました。

――ノイローゼというのは、仕事の内容に対して?

御厨:色々なことが要因だと思うんですけど、何より自分の我が強かったんですよね。自分が演じたいと思う役ができないというか。今だったらNetFlixとかプラットフォームも増えてるし、インディ映画に出演するとか、色々な道があると思うんですけど。

役者って大きく2パターンに分かれると思っていて。自分の生き様を役に投影する人と、自分を出すのではなく役に寄り添う人。俺はどっちかというと後者だったんですよね。だからこそ、自分を思う存分に出せるミュージシャンに憧れたのかもしれません。

――そうなんですね。

御厨:自分の好きなエピソードがひとつあって、映画『クローズZERO II』に出演した金子ノブアキさんが、監督の三池崇史さんに「どんな感じに演じればいいんですか?」って聞いたらしいんです。そしたら、三池さんは「君はそのままでいいよ」って言ったらしくて。それって、金子ノブアキさんが役者として箔が付いてるというか、存在感を確立しているからこその話だと思うんです。

俺もミュージシャンとして大成して、自分の世界観をしっかりと固められたら、もう一度役者にもトライしてみたいですね。

――なるほど。では、話を戻して、事務所を辞めてからの経緯も教えてもらえますか?

御厨:当時はまだ奨学金を借りながら大学に通ってたんですけど、どう足掻いても単位が足りなくなっちゃって。留年するとさらに学費がかかるし、親父も「(音楽で食ってく)覚悟があるなら辞めてもいいよ」って言ってくれたので、大学を中退して、音楽をやっていこうって決めました。

その頃、たまたま渋谷のTSUTAYA前を歩いていたら賽の目さんっていうラッパー主宰のサイファーに出会って。おもしろそうだなって思って参加させてもらって。馬が合ったのか、何だかんだ1年くらい通ってましたね。そこでベースのTMMK、RED ORCAの葛城京太郎とか、めちゃめちゃカッコいいやつらと出会うことができました。

――鋭児のメンバーとも渋谷TSUTAYA前で出会ってるんですよね。

御厨:ベースの(菅原)寛人とそこで出会いました。

――鋭児の前身バンドもあったんですよね。曲作りを始めたのはその頃から?

御厨:REDっていうバンドをやってました。その頃はみんなで曲作りしてましたね。やっぱりワンマン(・バンド)になるとメンバーはつまんなくなっちゃうと思うし。

――それぞれが意見を出し合う民主的なバンドと、絶対的リーダーがみんなを引っ張るバンド、大きく分けると2パターンあると思います。もちろんどっちが良い悪いの話ではなくて。鋭児は前者ですよね?

御厨:まぁ、そうですね。みんなで話し合ってやっています。……でも、これってバスケとめっちゃ似てるなって思うんですよね。

――というと?

御厨:高校時代、バスケ部で背番号5番だったんですけど、別にリーダーっていう感じではなくて。頭抜けてるプレイヤーもいないチームだったので、コーチは常々みんなで協力することの大切さを説いていました。その教えは今も心に残っている気がします。

ただ、その当時、ちょいちょい米軍基地に連れてってもらってバスケをやる機会があって。めっちゃ記憶に残っているのが、基地内のヘッド・コーチみたいな人が俺らにマイケル・ジョーダンの凄さを教えてくれたこと。「何でマイケル・ジョーダンはあれだけ飛び抜けた選手になれたと思う?」って聞かれて、みんな「わかんないっす」って感じだったんです。そしたらホワイト・ボードに円を描き始めて、「大抵の選手はこの円の中に収まる。でも、マイケル・ジョーダンはこの円の外に出ていった」って語ってくれて、めっちゃ喰らっちゃったんですよね(笑)。

――なるほど。

御厨:それからNBAもめっちゃディグるようになったんですけど、日本人は連携を重視するのに対して、NBAは1on1をめっちゃ練習させるんですよね。何事においても仲間や身近な人と協力することはめっちゃ大事だと思うけど、人間って最期は誰かに看取られていたとしても、結局はひとりだと思うんです。誰かに助けてもらうこともあるけど、自分だけで何かを成し遂げたい、責任と尻拭いをできる男になりたいって最近は考えています。


「昔作った曲をライブで再現するのって、『ウソじゃん』って思っちゃうんですよね(笑)」

――2月にリリースしたEP『HUMAN』についてもお聞きしたいです。収録曲はいつ頃から制作していたのでしょうか?

御厨:1曲目の「PANORAMA WORLD」はAmazon Musicさんの企画に参加させてもらった曲で、お話を頂いたのは去年ですね。どれくらいの時期だっかな……。でも、「超新星」なんかは実は2年くらい前に作った曲で。(藤田)聖史が当時住んでた家にメンバーで集まって作りましたね。「0423」は俺が前に付き合ってた彼女にフラれて、聖史に慰めてもらっている曲ですね(笑)。

――残りの1曲、「HUMAN」は?

御厨:「HUMAN」も同じくらいの時期だったかな。

――じゃあ、以前から温めていた曲を、「PANORAMA WORLD」に合わせてパッケージしたというか。

御厨:そんな感じですね。自分たちが現在進行系で作っている曲ではないので、こういうインタビューで説明させてもらえると助かりますね。この前、弟の友だちに会って少し話したんですけど、何か以前よりナヨナヨしてたんですよ。「こんなやつだったかな?」って思ってたんですけど、よくよく聞いてみると鋭児めっちゃ聴いてくれてるらしくて。「やべぇ、こいつ今回のEPの影響受けてるんじゃねえか」って(笑)。

――ハハハ(笑)。確かに今作は少しメロウというか、湿っぽいですよね。

御厨:湿っぽ過ぎたっす(笑)。

――あくまでもバンドの一側面ですよね。

御厨:そうそう。それも含めて、今後はリリースする曲、タイミングをもっと考えないとなって思いました。人間の“気”とかもすぐに変わるし、作った曲をなるべく早くリリースできないかなって。

――個人的には鋭児はそろそろアルバムを作るのかなって予想してたんですけど、アルバムって今のお話から遠ざかるものですよね。作るのにも発表するのにも時間が掛かる。鋭児として、次の動きはどのように考えていますか?

御厨:スタンス的にはあまり変わらないとは思うんですけど、都内に自分たちのスタジオを借りたので、個人的にはジャム・アルバムとか作ってみたらおもしろそうだなって思っています。

――それこそジャム・セッションは鋭児にとって原点とも言えるものですよね。

御厨:何か……昔作った曲をライブで再現するのって、「ウソじゃん」って思っちゃうんですよね(笑)。ある種のファン・サービスっぽいなって。

――わからなくはないですけど、極論過ぎないですか?(笑)

御厨:確かに(笑)。でも、俺らは今この瞬間を共有してるわけで、だったらジャム・セッションの方が説得力あるなって思っちゃう。

――例えば、戦略的に考えれば「$uper $onic」のような即効性があるというか、プレイリストにも選曲しやすい/されやすい曲をまた作った方が賢いんじゃないかなとも思いますが、今のお話は真逆とも言える考えですよね。

御厨:それは理解してますし、よく言われますね。もし、鋭児の今のイメージが「$uper $onic」に引っ張られてるのであれば、そこには純粋にリアクトしていきたいとも思います。でも、ジャムのよさって人間は完璧じゃないってことを表現できるところなんで、逆に時間を掛けて構築した曲をライブで披露してるときって、少し無理してる感覚もあるんです。もちろん好きな曲しか演らないしリリースもしないので、それでお客さんが沸いてくれれば自分も楽しいんですけど。

――じゃあ、何の制約もなく、誰にも配慮しなくていいのであれば、与えられた時間丸ごとセッションして終わるのが、ある種の理想のライブ?

御厨:理想ですね。1度でいいからやってみたいです。「$uper $onic」みたいな早い曲って、例えば俺らがジジイになったら出きなくなっちゃうと思うし、その時代、そのタイミングの自分たち、リスナーたちの“気”に合った曲を演奏したいんですよね。

――かなり先の未来も見据えているんですね。

御厨:メンバーのおかげですね。昔はただツルんで遊んでいるだけって感じでしたけど、最近は結婚したやつもいるし、それぞれの生活も変わっていく。その都度順応して、形を変えていかないとバンドは長くは続けていけないなって。そういった部分はメンバーに教わっている感じです。

――おそらく色々なところから声も掛かってるんじゃないかなと思うのですが、レーベルや事務所への所属は考えたりしますか? それともインディペンデントであることにこだわりがある?

御厨:うーん、難しいところですね。サポートしてくれるっていう人がいれば必ずお話は聞くようにしています。でも、例えば大きなとこに入って、ブランディングとかの部分で他の人間が入ってくると、作られたイメージができてしまうような気がしていて。結果的に自分たちの首を絞めることになると思うので、それは違うなと。だったらバイトしながらでもいいからメンバーそれぞれがカッコいい人間を目指していった方がいいのかなって。


時代にもっと“色”を

御厨:今、自分の“色”を模索していて。それはスタイリングとか音とか様々な部分に関してなんですけど。そういった点でいうと、最近はHIDEさんやDavid Bowieに惹かれることが多くて。

――それはどうしてですか?

御厨:何か、今ってクールな人が多いというか、時代に“色”がない気がしていて。でも、自分は音楽をやっていて、ステージに立たせてもらうには、キッズたちに「やべー! カッケー!」って思わせないと、夢を見せないとダメだと思うんです。

……ちょっと変な話なんですけど、去年の10月くらいに自分がメンタルブレイクしてしまって、誰にも会いたくない気分になってたんです。そのタイミングでドイツのベルリンに住む人から「君、最近おかしいよ。大丈夫?」ってDMがきて。「やべぇ、全部バレてるわ」ってなり(笑)、思わず「何でわかんの?」って返信したんです。そしたら「いや、わかるでしょ。人類はみんな繋がってるんだから。で、何があったの?」って言われたので、自分のプライベートな話をぶっちゃけました。

――ヤバいっすね。

御厨:ヤバいっすよね(笑)。俺の話を聞いてくれたあとに、「色々話してくれてありがとう。君のために服を作りたい」って言ってくれて。ちょうどステージ衣装が欲しかったこともあって、自分のバックグラウンドとかが伝わる服にしたいなと思い、「臙脂(えんじ)色のセットアップ、生地はベロアがいいな」って伝えたら「ベロアはダメ。もっと高級な生地を使おう。〇万円ちょうだい」って言われて、「これ詐欺じゃないよな?」って(笑)。

――(笑)。

御厨:でも、何だかんだ3ヶ月くらいやり取りを続けてたので、そこまで疑う気にもなれず、実際に今作ってもらってます。……何が言いたかったっていうと、こういう不思議な出来事って誰にも起こり得ると思うし、それを常にハッピーな方向に持っていけるようにしたいし、忘れないようにしたい。こういう気持ちが『HUMAN』にも繋がってるのかなって。あと、『HUMAN』は全体的にモノトーンな雰囲気だったけど、これからはもっと色味のある表現をしていきたい。それが今のモードですね。

――なるほど。

御厨:行くゆくはブランドも立ち上げたいんですよね。……あんま大きいこと言って口先だけのやつだと思われたくはないんですけど(笑)。

俺はみんなそれぞれが“色”を持っていると思ってて。でも、人からみた自分と、自分が考える自分って違うじゃないですか。そういう俯瞰した視点で見た“色”を提案したい。そんなブランドができたらいいなって。みんながもっと色味に溢れた世界になれば、コロナで塞ぎ込んじゃった日本も少しは開けてくるのかなって思うんですよね。

――壮大な話になりましたね。

御厨:まぁ、今のは話が大きくなり過ぎましたけど、例えば(鋭児の及川)千春に向けてギターを弾きやすいような服を作ったり、鯱の相方であるDr.Payだったらダンサーでもあるので、動きやすいスーツを作ったり。周りに才能溢れるやつらが多くいるなって感じてるので、そいつらが羽ばたくための服を作れたら最高だなって。単純に、これまで散々人に迷惑かけてきたので、周りの人に恩返ししたいんですよね。


【リリース情報】


鋭児 『Dancer in the Dark』
Release Date:2023.06.16 (Wed.)
Tracklist:
1. Dancer in the Dark

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■鋭児:Twitter / Instagram


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