【FEATURE】来日控える中国のラッパー・Asen（艾志恒）、そのストーリーとバックボーン

Text by Miho Matsuda

コンプトンがKendrick Lamarを、川崎がBAD HOPを生んだように、中国の湖北省恩施という小さな地方都市から現れたAsen（艾志恒）。彼は現在、四川省成都を拠点とするヒップホップグループ・Digi Ghettoの一員でもあり、2024年の『Rolling Loud Thailand 2024』では、ソロとグループの両方で出演を果たすなど、〈88rising〉所属のHigher Brothersに次ぐ中国のヒップホップアーティストとして世界にプレゼンスを示している。

彼のラップスタイルは、リッチチャイニーズのフレックスなライフスタイルや、ストリートでのポジションを誇示するものではない。名声を得て地元の仲間や家族に認められたいという焦燥感、ラッパーとしてのパブリックイメージと自分自身との葛藤など、人生を反映した内省的なリリックを、R&Bやジャズ、ポップスを融合させたエモーショナルなサウンドに重ねる。ポエトリーリーディングのように抑制的で、鋭く熱を帯びた独自のフロウは、普段はヒップホップを聴かない層からも支持され、広範囲なリスナーを惹きつけている。

Asenの人気の背景にあるのは、彼が地方の小さな街の出身であり、何度も挫折を味わいながら、リアルな言葉とメロディアスなサウンドを武器に這い上がった彼自身のストーリーだ。これは、ひとりの中国人ラッパーの人生でありながら、同時に故郷を離れたすべての人の心に響くものでもある。

Photo by JasAnowilm

Asenは湖北省恩施という地方都市で育った。記憶力がよく、音楽が好きな少年は祖母や父から「将来はエンジニアか公務員になってほしい」と将来を期待されていたという。当時、流行していたWill Pan（潘瑋柏）やJay Chou（周杰倫）を聴き、高校の頃からはインターネットの影響で作詞作曲を始めている。

家族の期待通り、重慶の大学に進学して理工系を専攻した。そこでたまたま立ち寄ったバーでトラップと出会い、人生が一変する。彼はラッパーを志し大学をドロップアウト。廈門のレーベルと契約し、2018年“Iced Out”でデビューする。レーベル側は当時、中国で人気のヒップホップのバラエティ番組に出演させたがったが、作品に集中したい彼との間に溝が生じた。

その結果レーベルとの契約を破棄。2019年、オンラインで出会ったThomeboydontkillらとヒップホップの聖地・四川省成都に移り、翌年5人のクルーでDigi Ghettoを結成した。3本のミックステープをリリースし、シングルは中国の大手音楽プラットフォームにチャートイン。Thomeboydontkillとの楽曲“土黑娃”はショートビデオプラットフォームでも大ヒットし、Higher Brothersに続く存在として注目を集めることに。

その中でリリースされたのが、艾志恒Asenのソロアルバム『NESA』（2022）。“说唱钱”では高まる名声の一方で、自分自身との乖離に葛藤する姿を淡々とフロウにのせ、“给奶奶的信”ではラッパーの道を進むことに難色を示していた祖母への思いを込めた。彼の半生を綴ったようなリリックは、中華圏の10代〜20代、特に地方出身の若者からの共感を集めた。

2023年にはHigher BrothersのMasiweiとのコラボアルバム『狗咬狗』をリリース。同年10月に恵比寿The Garden Hallで行われたMasiweiのワールドツアー『MASIWEI 2023 WORLD TOUR』に、RollFlash（罗言）とともにゲスト出演し日本で初のステージを経験。Masiweiとの“P.Y.T”では会場を埋め尽くした中国語ネイティブのオーディエンスによって、会場が震えるほどの大合唱が発生。日本のライブでは見かけないほど激しい熱狂に包まれたフロアは、彼らがいかに中華圏の若者に支持されているかを証明するものだった。

また、昨年リリースされたアルバム『Life After Small Town』は、早くも次なるフェーズを象徴している。現状の苦しみから抜け出す心情を流麗なトラックにのせた“焦虑Pt.2/膨胀”、新しい家族を歌った“蓝色的梦”。かつての自分を受け入れ過去への執着に別れを告げた“小镇的孩子”など、前作からの進化と今の覚悟が表現された。このアルバムを冠した今回のワールドツアーは、シンガポール、マレーシア、オーストラリア、アメリカ、香港、東京、台湾を回り、その後、中国国内で11都市のライブを予定している。