韓国にルーツを持ち、ドイツで生まれ育ったアーティスト・Sion(シオン)。5歳からピアノを始め、少年期はもっぱらクラシック音楽家を目指して練習に明け暮れていたのだという。
ポップシンガーとしてのSionの道を開いた契機は、2021年に人気音楽競演プログラム『The Voice』ドイツ版に出演し、最年少ベスト4進出を果たしたことだった。その後、ラッパーのMommy Son(마미손)が主宰するレーベル〈Beautiful Noise〉に参加し、活動拠点を韓国に移動。歌唱から作編曲までマルチに手がける才能は、テレビドラマ『Sing Forest』や『Our Unwritten Seoul』などのタイアップでも広く知られるようになった。
ところが、2025年9月26日(金)にリリースされた4作目のEP『eigensinn』は、世間に知られたポップシンガーの声を変調し、裁断し、はげしく歪ませる作品集となっている。Sionはこれを「キャリアの多くを諦めることになる作品かもしれません」と語るが、そこにはパーソナルな空間へのまなざし──綺羅びやかなステージから、ベッドルームへ──が光っている。
これまでの作品から大きな転身を遂げた『eigensinn』の背景には、日本のハイパーポップ/デジコア(digicore)シーンの影響があるという。ここでは、デジタルな世界に飛び込んだSionの変遷を辿っていく。
Interview & Text by namahoge
Interpreter:Asumi Kajisaki
Photo by Shimizu Elio
日本のハイパーポップ/デジコアシーンからの影響
――3作目のEP『sociavoidance』のリリースから今作『eigensinn』の制作まで、どのように過ごされたのでしょうか?
Sion:前作『sociavoidance』まではあまり目的もなく作っていて、あとから振り返っても「この歌は本当にいいのか?」という疑念が常にあったと思います。でも今回は、「自分が好きな音楽をやりたい」という思いがあり、「そもそも私が好きな音楽はどういったものなのか?」を考える時間が必要でした。なので、そのジャンルについて深く勉強することに時間を費やしていました。
――Spincoasterの前回のインタビューでは、ハイパーポップやデジコアといったジャンルへの理解を深めていきたい、とお話しされていました。実際に『eigensinn』は過剰な電子音が用いられ、トラックの展開も目まぐるしい作品集となっています。
Sion:そうですね。前回のEPではアコースティックとエレクトロニックを組み合わせたスタイルでしたが、今回はもっとデジタルなサウンドにしようと。そのためにハイパーポップなどのジャンルを勉強し、もっと理解する必要があったんです。その際に、周りの友だちの音楽や、Peterparker69やlilbesh ramkoなど、日本で活動しているアーティストをたくさん聴きました。
――前作でも、日本のプロデューサー・phritzさんの提唱するボタニカ(botanica)からの影響も語られていました。そもそも、どうして日本のシーンをチェックするようになったのでしょうか?
Sion:日本語よりは英語の方が馴染みがあるので、最初はアメリカのunderscoresや、ヨーロッパのEcco2Kなどに触れていたのですが、そういった英語圏の方のInstagramで日本のアーティストが紹介されていることがあったんです。それと、Tennysonというカナダ出身のアーティストは、日本の方とも密接に関わって活動しています(※Peterparker69やlilbesh ramkoとも共作している)。Tennysonはデジタルとアコースティックの要素が組み合わされたオリジナルな音楽を作っていて、そういった点でもファンだったんです。
Sion:そうしてPeterparker69を知って、「おもしろい名前だな、一度聴いてみなくちゃ」と再生したら、「すごく自由に音楽をやっているな」というのが伝わってきて、日本のシーンにも興味を持つようになりました。そこから芋づる式に、JUMADIBAというラッパーを知り、lilbesh ramkoを知り……といったふうに日本のシーンをよく聴くようになりました。
こうした日本のアーティストたちは、ただ「このジャンルをやろう」というのではなく、自分たちの確固たる好みをすごく上手に盛り込んでいるように思います。なので私も、彼らの音楽を聴いて真似をするというよりは、自分の好みがなんなのか、それらをどのように溶け込ませるか、そういった考え方を学んだのだと思います。
私はやっぱり、楽器が得意なことが強みです。だから、今回のEP『eigensinn』にはハイパーポップ/デジコアの要素もありながら、ロックの要素が入った音楽になっていると思います。
――今作で影響を受けたアーティストの中で、韓国の方はいらっしゃいますか?
Sion:ハイパーポップに加えて、シューゲイザーを取り入れた曲もあるのですが、韓国においてそのジャンルで大きな成果を遂げているParannoulはよく聴きました。Parannoulの音楽は、一聴してうるさいものと感じられるかもしれませんが、すごく美しい面があります。その要素は今作にも反映したいなと考えました。
Sion:また、日本とも密接な関係を持っているkimjというプロデューサーがいます(※来日経験もあるクルー・Fax Gangのメンバー)。そのヒョン(※형 – お兄さん)とは頻繁に会って一緒に作業もしているんです。私はハイパーポップのジャンルではまだまだビギナーですが、ヒョンはすごく好意的に受け入れてくれて。実はそういった作業が、私がハイパーポップを理解するきっかけにもなったんです。
――kimjさんの最新アルバム『KOREAN AMERICAN』は、2010年代のEDMのリバイバルを感じさせる作品でした。『eigensinn』でもEDMの要素が色濃くありましたが、そこはやはりkimjさんの影響があるのでしょうか?
Sion:はい、その通りです。私ももともとEDMを聴いて、当然Skrillexが好きだったし、Madeon、Porter Robinsonといった方々の音楽も身近なものでした。でも、EDMはすでに世間に馴染みのある音楽で、逆に言えば「もう聴かれない」音楽でもあります。そんな中、kimjがすごく果敢にEDMに挑んでいくのを見て、勇気をもらえたんです。
――日本や韓国のインディシーンでは、同世代でコラボレーションすることが多いですよね。kimjさんとも繋がりのあるEffieさんなどは、日本のアーティストとコラボしたこともあります。Sionさん自身にそういった意向はあるのでしょうか?
Sion:これまで私が経験してきたコラボの多くは、相手側から先に提案してくれて「いいですね」と受けたものがほとんどでした。でも、こうしたシーンでは私はまだまだビギナーなので、自分から手を伸ばしていかないとダメだろうなと思って、気になったアーティストには直接DMを送っています。
なかでも最近連絡を取っているのは、日本のPARKGOLFさん。昔から好きなプロデューサーなのですが、「今後一緒になにかできたらいいね」と話しています。
クラシック音楽家からベッドルームプロデューサーへ
――ここから制作について伺っていきます。『eigensinn』は冒頭のデジタルフュージョンにはじまり、ハイパーポップ、シューゲイザー、EDMとが混じり合い、Sionさんのこれまでの作品では珍しいダンサブルな作品集となっています。でも、歌詞のテーマとしては非常に内省的で、前作に続いて人間関係の悩みについて歌われていますね。歌詞を書いてからトラックを作るのか、その反対なのかなど、具体的な制作について教えて下さい。
Sion:ハイパーポップとは本能的で即興的なエナジーのあるジャンルです。だから、今回は歌詞を先に書くのではなく、音楽が歌詞の役割を果たすように制作しました。ビートを先に作って、その上に適当な言葉を吐き出しながらメロディーを組んで、最後に歌詞を入れて。ハイパーポップはサウンドに集中するジャンルで、歌詞はあとから付いてくるという側面があるように思います。
ですが、私はもともと計算的に音楽を作るタイプで、歌詞も慎重に書くタイプなんです。そういった点で性格に合わない部分もありましたし、結局そのマインドは捨てきれませんでした。最終的に『eigensinn』は普段の私らしく、頭の中の深い考えをそのまま盛り込んで、むしろそれをハイパーポップのエナジーと組み合わせるような音楽を目指しました。
――Sionさんは幼少期から声楽や器楽といったクラシックを学んでいたとお聞きしました。ハイパーポップ/デジコアのように、ベッドルームでDAWひとつで制作を完結させる現代的なスタイルとは、ギャップがあるのではないかと思います。その点について、難しかったことはありますか?
Sion:でも、そういったベッドルームプロデューサーと私の間には、それほど大きなギャップはないと思います。もちろん長い間楽器の練習をしてきましたが、演奏家の方々のように「上手く弾ける」のかどうかも、よくわかりません。
ただ、クラシック音楽をやってきたことで、音楽を「整える」ことにおいては、ある程度の見識があると思います。反対に、それが足かせになる側面もあるんです。ハイパーポップは非常にラフなジャンルですよね。そのラフさを私がやろうとしても、しきりに「整える」クセが出てしまう。一方で、そのおかげで多くの人に聴かれやすい音楽になりえますし、自分なりの楽曲が作れたのかなと思います。
――ちなみに、EP内で鳴っている楽器類はご自身で演奏されたんですか?
Sion:今回のEPに入っている楽器は──ギターもピアノもストリングスも──全てひとりでやりました。今までもひとりで作る割合が多かったと思いますが、以前はたとえばギターは上手く弾けるヒョンにお願いすることがありました。
ですが、今回のアルバムは本当にひとりでやってみたかったんです。ただ、ストリングスについては本物の弦楽器は使わず、MIDIをプログラミングしていて。それもリアルな音に近づけるために、ひとりで頑張ってパラメーターを調整する作業がありました。
実のところ、私は5歳から10年ほどバイオリンをやっていたので、実際に演奏しようと思えばできるんですが、昔から使っていた楽器がドイツに置きっぱなしになっていて(笑)。取りに行くのにかえってお金がかかるし、ハイパーポップというデジタルなジャンルをやるにあたって、MIDIでのプログラミングの実力を伸ばしたいとも思ったんです。
――演奏するのとプログラミングするのでは、最終的なアウトプットが異なると感じますか?
Sion:全く違いますね。演奏するときよりも、プログラミングの方が完璧ではあるんです。でも、その完璧さが逆によくないときがあります。実際に人が演奏すると、小さなミスがあったり、音程が少しズレたり、そういったところから温かみが感じられます。それらをコンピューターで再現しようとすると、一つひとつパラメーターを動かさなければならないし、それでも満たされない部分があったりして。確かにそういった違いはあるんですが、「今回はコンピューターでやるんだ」と決めて、制作しました。
デジタルなら見せられる姿を
――『eigensinn』というタイトルにはどういった意味を込めましたか?
Sion:「Eigenseinn」は、ドイツ語で「自分自身」というような意味です。最初はこれを韓国語や英語のタイトルにしようかとも思ったんですが、私はドイツで生まれて、小さい頃のほぼ全ての時間をドイツで過ごしているので、「自分自身」と言うときにドイツ語が一番しっくりくるなと思って、このタイトルにしました。
――そんな作品集のなかでも、Sionさんにとってお気に入りの楽曲はなんですか?
Sion:今回の音楽は全部、普段の私がただ聴きたい音楽なんです。だから難しいんですが……2曲挙げるとすれば、“holdon”と“homes”です。
“holdon”は私が今まで扱ったことのなかった、ダンサブルでエネルギッシュな曲になったと思います。EDMを作ることもこの曲が初めてのことでしたが、思ったよりも上手くできたようで、満足のいった制作でした。
Sion:もうひとつ“homes”は、これまでの自分の音楽と、自分が今進もうとしている音楽の方向性を上手く混ぜられたと感じています。ハイパーポップというジャンルをよく知らなかったり、好きでないリスナーにもアピールできる曲にできたのかなと。
――“homes”はファンとアーティストの関係性についての歌ですね。ファンの無邪気な目線に対して、欺瞞的に振る舞ってしまう作家としての苦悩を吐露する歌詞となっていますが、トラックそのものはポップでキャッチーで、楽しげですらあります。このギャップが魅力的でもあるのですが、一体どのような考えで制作されたのでしょうか?
Sion:私はどんな要素であれ、「音楽のなかで乖離があること」をおもしろがるクセがあるようです。アンバランスなことに魅力を感じるんです。そこで“homes”は、ミッドウェストエモ(Midwest Emo)というジャンルを参考にして作りました。そのジャンルは、メロディは楽しいのに、歌詞には憂鬱な話しかない。私も普段から憂鬱な歌詞ばかり歌っている方ですし、今回のアルバムにはミッドウェストエモがぴったりだなと思ったんです。
――かつてSionさんは『The Voice』ドイツ版に出演したことから、歌唱力の高さで注目された経緯があります。ですが、今作では自身の声をエディットしたり、激しく歪ませたり、あくまでひとつの素材として扱っているような印象を受けました。これもファンからすると驚くような変化だと思うのですが、Sionさんご自身はどのように感じられていますか?
Sion:特に韓国では、Sionというアーティストは「深い声を持った歌手」として知られていると思います。それは私が韓国でデビューしたときに、そういった声を強調するような歌をたくさん歌っていたからです。正直に言えば、その時期の声は無理に出していた声なんです。私にとって楽な声ではなくて、もっと自然な声を使ってみたいと思っていました。
ですが今回、自分にとっては自然な声と思っていても、いざ曲を作ってみると、今まで出していた声との乖離を強く感じてしまったんです。だから、声にいろんなエフェクターを用いることになったのだろうと。それにハイパーポップというジャンル自体が、声で遊ぶことが許されるジャンルでもありますよね。これをむしろいい機会だと受け止めたんです。
この変化をおもしろがってくれる方がいたらありがたいですが、もちろん歓迎しないファンもいると思います。今回のEPは、ある意味で自分のキャリアの多くを諦めることになる作品かもしれません。声だけでなく、ジャンル的にも全く違う方向へ進んでいますから。
でも基本的に、好きな音楽に正直であってこそ、いい音楽が作れると信じています。「昔の音楽性を好きなファンがいるから」という理由だけで変化せずに続けていたら、それこそファンを裏切る行動だという気もします。だから、恐れもありながら、今回のEPで再び原点から始めるような気持ちでいます。
――制作環境や声についての話を含めて、『eigensinn』はこれまでよりもずっとパーソナルな作品となったようですね。今後、ファンとの関係性について考えていることはありますか?
Sion:たしかに、歌詞には「ひとりでいたい」という欲望を書いていますね。これは作品のコンセプトとして掲げたわけではなく、最近ずっと感じていたことが作品に滲み出たようなものだと思います。
でも、アーティストという職業は、継続してファンとコミュニケーションを取らなきゃいけない職業だと思います。そこで、お互いに家にいながら上手く関係を築くことのできるツールとして、Discordサーバーを立てたのが去年の今頃でした。サーバーではファン同士で毎日話している方もいるし、私もたまに入って話したり、ライブ配信をしたりして、デジタルに交流するのを楽しんでいます。
最近の若い人のなかには、デジタルなら本当の姿を出せる人もたくさんいると思うんです。自分も若者のひとりとして、そんな声を代弁していけたらなと思っています。
【リリース情報】

Sion 『eigensinn』
Release Date:2025.09.26 (Fri.)
Label:Beautiful Noise
Tracklist:
1. eigensinn
2. celeste
3. holdon
4. avoid2
5. homes
6. borocca
7. remix1
■Sion:Instagram
※This content was produced with support fromthe Korea Creative Content Agency. / 本コンテンツは韓国コンテンツ振興院(KOCCA)の支援を受けて制作されました。














