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INTERVIEW / SATOL aka BeatLive


「音楽だけじゃおもしろくない」――SATOL aka BeatLiveが語る、新レーベル〈-滅- METSUJP〉立ち上げの経緯と展望

2021.12.30

国内外のレーベルから作品リリースし、ジャマイカとドイツへの移住経験も持つなど、異色のキャリアを持つプロデューサー・SATOL aka BeatLiveが昨年、新レーベル〈-滅- METSUJP〉を立ち上げた。

今回は同レーベルの立ち上げの経緯から展望を訊くべくインタビューを実施。近年の活動やSATOL aka BeatLiveの根幹を形成する思考など、話題は多岐にわたった。(編集部)

Interview & Text by 満月兎
Photo by Official


――今日は電話インタビューになりますが、どうぞよろしくお願いします。

SATOL aka BeatLive(以下、SATOL):ハイ、お願いします。

――SATOLさんの経歴をおさらいしますと、17歳でHELLCHILDのCDをジャケ買いしたのを機にデスメタルを聴くようになり、19歳でハードコア・バンドを始めて、そのあとは大阪にあるレゲエ・クラブClub I to Iで働き始め、21歳でジャマイカへ行って。

SATOL:確かそうだったかなと思います。

――28歳で知り合いとクラブ経営を始めて、30〜32歳でドイツへ渡り〈Madberlin〉で3枚のCD(『MADBERLIN』『Radically Au Breed’s Cre8』『SUPERHUMAN FORTITUDE』)を出して帰国。33歳で〈P-VINE〉からアルバム(『harmonize the differing interests』)を出して、O.N.Oさん(THA BLUE HERB)主宰レーベル〈STRUCT〉に所属して作品(『STRUCT-001』)をリリースしたり一緒にツアーを回って。

SATOL:そんな感じかなと。めちゃくちゃやりました。

――37歳で〈PROGRESSIVE FOrM〉からアルバム(『Shadows』)をリリースし、38歳でハードコア・アーティストを集めたプロジェクト・sons of AHITOを始動。39歳で〈disk union〉から『SHINOU ep』、Frigio Recordsの『Frigio All Stars Vol. 2』に参加し、41歳の去年12月に霏deさんと新しいレーベル〈-滅- METSUJP〉を立ち上げると。

SATOL:改めて説明していただくと、色々やってますね。

――〈-滅- METSUJP〉を立ち上げたきっかけは、去年の夏に霏deさんとクラブで出会ったことが始まりですね。

SATOL:クラブというか、パンクな箱があって。そこで出会って「一緒にやろうか」ということになり、立ち上げることになったんですよ。

――当時、ご自身の状況ってどうでした?

SATOL:ツアーを周り倒してましたね。とにかくライブ三昧でした。

――レーベルを立ち上げたい気持ちはあったんですか。

SATOL:2018年にsons of AHITOで『war number 03』を出して、今後はどうしようかな? とか、次の作品は新しいレーベルから出すのかな? とか、そういうことが頭の中でよぎっていた時に〈-滅-METSUJP〉を作る機会が訪れて。だから頭の中ではチラチラと構想はあったのかもしれない。

――レーベルの方向性については、どのように決めていったんですか。

SATOL:方向性は音楽だけじゃおもしろくないなってことぐらいですよ。日本独自のモノを研磨して、どんな作家から見ても、昔の古き良き日本の芸術家から見ても、海外から見ても凄まじいと思ってもらえるような、ポストモダンと言いますか。そういう前衛的な日本の作品を、音楽だけじゃなくていろんなサブカルチャーも通じて出していけたらと思っています。

――アーティストでありながら音楽だけに固執しない視点を持っているのは、どうしてなのかなって。

SATOL:今って日本だけじゃなく、世界の事柄を見ても誤解されていることがいっぱいあると思うわけですよ。メディアとか、若い子たちや受け取る側の誤解した情報だったりとか。そんな中、海外のモノを吸収した上で、日本独自の表現を打ち出せないのかなというのが俺の根本ですね。海外の音楽やカルチャーを、そのまま真似するんじゃおもしろくないだろって。もう出尽くしだぞって。そしてその発信源は都心の奴らの仕事になってきちゃってるぞっていう。そしてそれに翻弄されて影響受けてる地方を見て、これは繰り返しやなと。それはよくないだろって感じですね。大阪人としてもそう思います。

――それって、ドイツにいたことが大きいのかなと思っていて。前に、ドイツで音楽活動をしていることが自分のステータスになっていることに気づいて、日本人であることを見つめ直したと言ってましたよね。

SATOL:ホンマにそうやしジャマイカでもそう思ったし、海外に行ったからこそ、その視点が生まれたのかなと。日本に戻ってきて、これは海外のモノマネでしかないのかもしれないと、沸々と湧き上がっていきましたね。

――SATOLさんが見たドイツやジャマイカの人々は、自分の国に対する理解や愛国心が日本と違って強かった、ということなんですか。

SATOL:確かに、そういうところもありますよ。だって、みんな日本の国旗を掲げてないですもんね。逆に、国旗を掲げたら反社に思われるし。じゃあサッカーの試合で日本の国旗を掲げていたら、それは反社なのかって話で。自国の国旗とかモノを、海外の人と同じように掲げて何が悪いんだと思いますよね。

――街を歩いていると、ドアの前に日本の国旗を飾っている家を見つけるんですが、それを目にした瞬間に「もしかして……」と思っちゃうんですよね。でも、自分は日本に住んでいて、日本人の血が流れているのに、そこに拒否反応が生まれてしまうのは変だなとは思いつつ。

SATOL:そうでしょ。現代の日本ではそのような捉え方が少し変わってしまったんでしょうね。だからこそ、今のレーベルを充実させようと思ったのはありますよ。

――毎年、長崎原爆の日に追悼のツイートをされていますよね。あの時に日本で何が起こったのか、どういう日なのかをちゃんと向き合う。レーベルを立ち上げる前から、そうした気持ちは持っていましたよね。

SATOL:めちゃくちゃありましたよ。広島へ行ったら必ず平和記念資料館へ行きますし、長崎原爆資料館にも何度も足を運びました。忘れてはいけない歴史ってあるんですよ。それを忘れさせようとしてる人たちもいるだろうし、一番タチの悪い“黙殺”っていう人たちも少なからずいると思う。俺たちの命があるのは、実際に起こり積み重ねてきた歴史があってこそ今に繋がっている。それがわからないとなったら、「お寺と神社の違いも分かりません」と言ってるのと一緒。そんな馬鹿げた話はないんでね。これはワールドワイドな話ですよ。海外から見ても「え、そうなんだ日本って」となっちゃうわけですから。そういった意味でも、やっぱり〈-滅-METSUJP〉を立ち上げる必要があったのかなって。

――それこそ西日本新聞でも紹介された「埋没の代弁者」の曲と繋がりますね。

SATOL:俺は、長崎によく行ってた時期があって。街を歩いているとひたすら防空壕があるんですよ。何だったら、その跡地を使ってカフェみたいのやBARを開いていたりするんです。

――へえ! 

SATOL:その街の人たちは、工夫をしながら生活しているんですよね。とはいえ、名残りもちゃんとあって「この防空壕は爪で引っ掻いた痕なんじゃかな」とか色々と痕跡を探っていっちゃうんですよ。他にも砲台跡なんかは、夕方に連れてどんどん暗くなって物悲しげに映るんです。しかも砲台跡って森の中にあるので、そこに木が生えてツルが巻いていて。歴史的観点から見ても、芸術的な感覚から見ても、これは伝えていかないといけないんじゃないかなって思う気持ちに掻き立てられる。そこから「埋没の代弁者」に繋がっていきました。ちなみに、MVでは長崎出身(在住)の後輩をあえて使ったんですよ。

――子孫ということで。

SATOL:そうそう。ついでに言うと、ボーカルのTaro Yamaguchi(DEHORN / METSUjp)は潜伏キリシタンの子孫なので、そういう意味でも色濃く彼らの血が作品に流れている。「何もそんな音楽にしなくてもと思うかもしれないけど、時代背景を気づいてもらえたら本望かなと思います。忘れてはいけない歴史があるわけですから。

――令和の時代に原爆をテーマにした「埋没の代弁者」を作ったのは、「昔、こんなことがあったんです」だけでは終わらせたくないからですよね?

SATOL:その通りです。終わらせてはいけない、というか風化させてはならない的な。若い奴らだったり俺らの世代だったりに、少しでも言っていくことが今生きる人間の使命というか。日本という国は負の遺産もあるし、かといって世界遺産もあるし。それもこれも日本独自のモノですから。何も隠さず発信していけたらと思いますね。

――今、SATOLさんが扱っている題材って、否定的な目で見られる可能性もありますよね。

SATOL:それがメインの題材ではないですけど、本当にクセの強いことをしてるので。かと言って、拒否反応を示す人と俺らは感覚とか視点の違いだけなので。ちゃんといい形で伝えていければ、今の若い子たちもわかってくれるんじゃないかなと思ってます。

――もちろん国内だけじゃなくて、海外に関してもフィルターをかけて情報を発信するから誤解を生んでしまう。YouTubeやSNSだってまさにそうだと思うんですけど、そのことに関してSATOLさんはどう思っています?

SATOL:イメージと思い込みが全てを操作しているんじゃないかなと思っちゃうんです、何もかもが。重複する話かもですが、ある種、メディアがイメージを植え付けちゃった所もあるのかなって。だからオリジナリティのない物真似に近い欧米化、アメリカナイズになるんじゃないですかね。まあ、先ほどの話しで受け手の誤解が多いのかなと思います。SNSがこれだけ普及しているに関わらず、非常にクローズされた情報の中にいるんじゃないかと。それは自分の足で確かめに行ってないからしょうがないとこもある。

――そんなSATOLさんが、音楽の力を使って変えていきたいことって何かありますか。

SATOL:そりゃあ、ヤバい作品を作るだけ。誰が聴いてもヤバいなと思うモノを音でもなんでも作っていくだけ。それが白だろうが黒だろうが、金とか銀とか関係ないっす。音楽でどうにかしたいっていうのは、ある意味ないのかな。

――レーベルとして変えたいことはあるけど、こと音楽に関しては一歩引いて見てると。

SATOL:ただ、虚言だけは言いたくないんですよ。そこは一貫性を持っているのかな。若干話しはズレるけど、元々、俺はステージに上がるのが好きじゃない。

――それはどうして?

SATOL:みんなの目線でやりたいんですよ。

――だからフロアでライブをしたいと。

SATOL:そうそう。本当はフロアでやりたいんですよ。「ステージでやりますか?」とスタッフさんから聞かれても「いや、ステージじゃなく下でやらせてください」とよく言ってますね。

――だけどライブを繰り返していると、お客さんに目線を合わせるのではなくて、上から言いたくなる感覚はどうしても生まれる気がするんですよね。

SATOL:ある意味、ライブ中は皆ヒーロー状態ですからね。

――そうならないのはどうしてなんでしょう。

SATOL:音だけを聴いてくれれば、俺のすごさが分かってもらえるからです。それこそが最後に残る自己主張なので、それ以外は別にないんです。メッセージ性の強い音楽であることは自分でも理解しているから、ライブで煽ったりもしないですし、上から何か言うこともないですね。音がメッセージの塊だと思っています。

――ライブ映像を観ると、今話している温和な感じと違って狂気じみていますよね。あのときのSATOLさんはどこで生まれたんですか? たぶん音楽をやる前からじゃないのかなって思うんですけど。

SATOL:幼少期からじゃないですか。ガラッと切り替えるスイッチがあるから、いつも安心していられる。また脱線するけど、自分を落ち着かせてくれるのがお寺やったりするんです(笑)。

――お寺ですか?

SATOL:以前、お寺にめちゃくちゃお世話になっていたんです。真っ暗な部屋の中、座禅を組んだり、色々させてもらっていました。そうすると、元の落ち着いた自分に戻っていける。殺気が消えるというより力に変わるというか。鎮静剤じゃないですけど、怨も陽も怒りも楽しみも一緒にしてくれる場所ですね。

――お寺にお世話になっていた、というのは?

SATOL:地元が大阪の河内長野なんですけど、大宝元年に建てられた観心寺というお寺があるんですよね。そこにとある僧侶がいて、約1年ちょいお寺に通いながら掃除をしたりとか、勉強をさせてもらったりしたんです。

――それは何歳の話?

SATOL:20代ですね。ジャマイカへ行く前もそうだったし、帰ってからも顔を出していました。

――そもそも通っていた一番の目的は何だったんですか。

SATOL:自分のことをもっと知りたいし、自分の取り巻く環境を更によくしたいと思うのが人間じゃないですか。実際、その時のきっかけになりました。

――じゃあ、ご自身にかなり影響していると。

SATOL:影響はめちゃくちゃあります。俺がお世話になっていたのが善山さんと全教さんなんですが、振り返ると観心寺は己と対峙する場所を色んな形で提供してくれましたね。

――SATOLさんってお寺とか日本史への興味が強いですけど、いつから好きになったんですか。

SATOL:2016年の後半か2017年くらいだと思います。〈PROGRESSIVE FOrM〉から『Shadows』をリリースしてから、そういった思考が沸々と湧き上がってsons of AHITOをスタートさせたわけです。だからsons of AHITOがきっかけになっているかもしれないです。自ら考えた企画が自分を突き動かしたみたいな。

――改めて今回の主題に戻しますけど、レーベルを立ち上げて約1年が経って、今どんな手応えを感じていますか。

SATOL:アンダーグラウンドで地盤が固まってきている兆しは感じていますね。やっぱり、地方からカチコミをしてるわけですから。

――年明けには、2020年にUMBで優勝した早雲さんと一緒に楽曲を作るそうですね。

SATOL:そうそう。 あとは、和歌山のFayxist.というバンドのHULKもそうですね。そもそも早雲くんと俺を繋いでくれたのがHULKなんです。この3人で年明け2月か3月頃に新曲を出すと思います。

――もっと先の展開としては、どんなことを考えています?

SATOL:日本の文化を伝えるために、海外へ向けて発信していくつもりです。刀鍛冶とか盆栽家とのコラボもする予定なんですよ。あとは鹿児島が好きなんですけど、長崎の子たちを集めた「埋没の代弁者」みたいなことを鹿児島でもやろうと思っています。鹿児島といえば明治維新が有名じゃないですか。そんな感じで、地元の人らと音を奏でることを各地でやっていこうと思います。

――最後に言い残したことはありますか?

SATOL:勝海舟の言葉を借りると「行いは己のもの、批判は他人のもの、知ったことではない」と。ついでに黙殺する奴らも“他人のもの”です。だから、こちらはさらに知ったことではないです。俺らは自分の信じたことをやるまでですよ。


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