A Tribe Called Questが2016年にリリースした実質的な最終アルバム『We Got It from Here… Thank You 4 Your Service』、そして同年リリースのJ. Coleによる4thアルバム『4 Your Eyes Only』という2つの全米1位獲得作品に参加している日本人キーボディスト、BIGYUKIが単独来日公演を11月26日(月)に渋谷WWWにて行う。
高校卒業後バークリー音楽大学へ入学し、以降ボストンのミュージック・シーンでジャンルを問わず活躍、セッション・プレイヤーとしての地位を確立してきたBIGYUKI。先述の『We Got It from Here… Thank You 4 Your Service』ではミュージシャンとして8曲に参加し、作曲家としても3曲に貢献。世界中から大きな話題を集めた。
10月に開催された“朝霧 JAM 2018”でもベスト・アクトの声が挙がるほどの熱狂的なパフォーマンスを披露したBIGYUKI。今回はその“朝霧 JAM”直前に行ったインタビューをお届けする。
世界のトップ・プレイヤーと肩を並べるミュージシャンでありながら、口を開けば実に気さく。次回作の構想からテクノロジーや自身のアイデンティティについて、さらには「ピアノが下手になった」というとんでもない言葉まで飛び出すなど、飾らずに語ってくれた。(編集部)
Text & Interview by Naoya Koike
Photo by Takazumi Hosaka
――髪切られましたよね?
BIGYUKI:切りました。昔は沖縄出身でNY在住の方に切ってもらってたんです。すごい家が近くて、よくうちに来てくれたり。その後ベルリンに引っ越しちゃったんですけど、最近またNYに遊びに来てて、僕を見て「髪長いな」と。なのでバッサリ切ってもらいました(笑)。
――ハハハ(笑)。ところで僕は『GREEK FIRE』の「John Connor (feat. Bilal)」が大好きなんです。音楽もですが、タイトルがよいなと。
BIGYUKI:とりあえず『ターミネーター2』がめっちゃ好きで。将来の夢に「T-1000」と書くくらい。小学校の時だよね(笑)。テクノロジーが発達して、シンギュラリティでAIが人間を超えて、世の中がこれからどうなっていくのかわからない。それでレジスタンス代表がジョン・コナーだった。だから、プログラムで構築された音楽に対して、生身の人間が不完全ながらも熱い演奏で対抗できないか? みたいな意味です。すごい後付けだけど。
BIGYUKI:僕はシンセいっぱい弾くけど、ライブでPCを使わなかったり、変なこだわりがあるんです。もともと完璧にクオンタイズされた音楽が好きなので、それに生身でアプローチして越えられるか、みたいな。人間側、機械側、どちら側からも想像しながら、どの立場の感情なのかと考えながらタイトルを付けました。イメージとしては、映画でガイコツのロボットがいっぱいいますよね。あれと戦っている感じ。中盤で5拍子になるところは特に。それをBilalに伝えたら「At the biginning of the end」から始まるストーリーの歌詞を作ってくれたんです。
――「Red Pill」「Blue Pill」も、映画『マトリックス』からの引用ですよね。音楽以外のものから着想を得ることは多いですか。
BIGYUKI:もちろん。自分が映画通なわけじゃないです。ただ、音楽は人生の一部でしかないと思ってて。日々の生活とか、そういうものが確実に反映されるんですよ、表現って。音楽以外のものからもらうインスピレーションは大事にしたいと思ってます。高尚なコンセプトとかではなく、映画とかだとわかりやすくテーマを提示されるじゃないですか。青いピルと赤いピルもそう。「このまま知らないで幸せに生きるか、それとも真実を知って苦しむか」という様なテーマが好きなんですよ。
BIGYUKI:音楽って抽象的じゃないですか。耳で聴くだけなので。特に僕のやっている音楽はインストで、ゲストのシンガーがいなかったら音だけだから、テーマは聴き手によっていくらでも変わっていく。そこに映画からの引用を入れたりすると、聴く人にヴィヴィッドなイメージを与える手助けになるんじゃないかと。別にテーマを固定しようとは思いませんが、半分遊びでそういう風なことをしてます。「John Connor (feat. Bilal)」も、もっと曲が立体的に聴こえたりするんじゃないかという考えもありました。
――サックス奏者のKamasi Washingtonについて「ゲームが上手い」という様な話を別の記事でお見かけしました。ゲームは今もやられます?
BIGYUKI:今はやらないです。絶対ハマっちゃうので。36歳の今、人生の何カ月分かをゲームに費やしたら、後がなくなっちゃう(笑)。本当にゲームだけじゃないですけど、すごいハマりやすいんですよ。一回ハマっちゃったら、これ以上はいいやと思えるまで止められないんです。でもおもしろいですよね。テクノロジーもすごい進化してるし。
この間、VRのゲームを初めて体験したんですよ、ゴーグル付けて。アーティストが仮想美術館の中でインスタレーションを行う、という内容で。それぞれの部屋が全然違うんですよね。それを見ていて、これからもっと技術は進歩していくんだろうなと思いましたよ。今ゲームの画面ってすごいキレイじゃないですか。そのクオリティでVRのゲームが遊べたら、現実よりおもしろくなっちゃうじゃんって。怖いですよね。怖いというか、すごいことなんだけど、これに今ハマるのは危険だなと(笑)。
BIGYUKI:今は音だけでエンタテインメントを成立させるのは珍しいですよね。そういうクオリティの人はもちろんいるし、それで成立すると僕も信じたい。でも、音楽って何かに付属するものみたいな要素もあるじゃないですか。それが今後、ますます加速するのかなとも思うんです。今だって「YouTubeにビデオがないと聴かない」というのが当たり前になっている。この流れがよいのか悪いのかはわからないですけど。
――仮想空間内で行われるフェスとかも増えてくると思います。PCを敢えて使わないBIGYUKIさんとしてはどう思われますか。
BIGYUKI:まぁ、PC使わないのは僕の勝手なこだわりというか(笑)。PC使うと何でもできちゃうから。でも、そういうフェスからオファーがあればやりたいですよ。僕が好きな分野は、テクノロジーの進化が音楽の進化になり得るジャンルだと思うんです。そもそも今やっている自分の音楽もシンセサイザーがなかったらできないわけですし。ピアノでは表現しきれないものを求めて、シンセにいったので。今はもうライブとは違って、プロダクションは打ち込みが7割くらいになってます。技術が進化すればするほど表現方法も深まると思っているので、自分がスピードに追い付ける限りは取り入れたいですね。
――次回作などの構想は?
BIGYUKI:今はEPを作っているんですよ。思っていたよりもピンとくるアイディアが浮かばないんですけど(笑)。(2017年発表の前作)『Reaching For Chiron』みたいなアプローチにはなると思います。あと、EPのためというわけではないけど、ピアノの練習をまた始めたんですよ。ずっとピアノをサボってたら、めちゃめちゃ下手になってて。帰国したタイミングで高校の時に習っていたクラシックの先生に「もう一回ピアノを弾きたい」と話したんです。そうしたら「昔やっていた曲だったら体が覚えているし、早く感覚を取り戻せるんじゃない?」と言ってもらって。今はバッハやショパンを練習してるんですけど、それがすごい楽しい。その先生からバッハの『インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801』をプレゼントしてもらえて。クラシックの人はみんな練習する基礎みたいな曲で、小学校くらいに僕もやっていて、何曲かは覚えています。それをこの年齢でちゃんとやろうと思って、それが本当に楽しみ。
EPには反映されないかもしれないですけど、将来的にはアーティストとして表現の幅の重要な位置をピアノの演奏が占めるんじゃないかと思っています。それはもちろんアコースティック演奏家になるという意味ではなく。
――楽器が下手になった、というのはどういう意味でしょう。指が動かない?
BIGYUKI:楽器のコントロールですね。ピアノに限らずアコースティック楽器って、自分の楽器コントロールによっていくらでも音色を引き出せるんですよ。深みというか、トーンというか。引き出せる音色の数がピアノを毎日練習してた頃に比べると格段に減ってて。本当に基礎的なコントロールですよ。自分の感情をどう旋律に乗せるか、とかそういう話の全然手前。だからまず楽器を上手くなりたいなと。その上で自分の音楽性を反映した演奏ができる様に。早速少し戻ってきた気もしているんですけどね。基本的な姿勢とかも先生に訊いて意識してます。
――例えばNYにいながら、そういうレッスンも受けれたのでは?
BIGYUKI:もちろん、向こうにいい先生もいると思いますよ。でも、素晴らしい演奏家と素晴らしい教育家は違う。高校の時の先生というのは、今の自分の音楽性に直接関係していて、根源的なところでとても重要な位置を占めているんです。僕は先生にすごい恵まれていて、小学校の時に習っていた先生に表現の可能性を、高校の時の先生には心構えを教わりました。どちらかが欠けていたらたぶん、音楽はやっていなかったと思います。自分のルーツであるクラシックを大事にして、そこを見つめ直すきっかけになったのかなと。
その上でNYに戻って、いい先生がいたら……。でも、やっぱり時間の優先順位的に「先生を見つけて、いちからクラシックをやり直す」というのが上に来るのは難しいと思います。今一番時間を使いたいのはEP。それに普段の生活のサークルから外れた場所に行くのも――例えば実家に帰ったりするのも多くて年に二回くらいで。その非日常でリセットではないけど、初心に戻れるというか。それがあるから元の制作に戻っても、すごい新鮮な気持ちで取り組めるんです。
――そういう心構え的なことでいえば、BIGYUKIさんは7年間教会の礼拝に参加してゴスペルを演奏していたそうですが、そこで感じたことなどは?
BIGYUKI:自分は宗教をバックグラウンドに持って育ってこなかったので、色々なことを考えましたよ。自分とは全然違う文化に飛び込んでいく。そこにいる人たちにとっては当たり前のことでも、自分にとっては全部が驚き。人がどこまで信じているのかとか。もちろん信じている度合いは人によって違うと思いますけど、本当にそれが救いになっている現場を見ました。そこで僕が一番良いなと思ったのは、チャーチがコミュニティ形成のコアになっていること。人によっては「家にいるよりも、教会の方が安全だ」と言う人もいる。家に居場所がなくて、ストリートに出るか、チャーチに行くかの2択しかなかったり。そういう意味でも大事な場所なんです。
印象的だったのは、ボストンにいた時の大雪の日。会社とか学校も休みになるようなすごい日だったんですけど、僕は30分前にたまたまタクシーを見つけて、一応チャーチに行けたんです。バンド・メンバーも僕以外にはひとり来てたくらい。それからワーシップ・リーダー(教会のバンド・リーダー)が来て。その人は元々軍隊出身で、今は警察のエリート。思わず僕は彼に「なんでこんな大雪なのに演奏するの?」って訊いたんです。僕とかはとりあえず行ったらギャラが出るので、仕事のために行くわけですけど。そうしたら彼は「こんな大雪でも、居場所がなくてチャーチが必要な人がいる。そういう人たちが来た時に、教会の扉が閉まっていたら絶望してしまうだろ。だから教会は常に開けとかなきゃいけないんだ」と言ったんです。その時にチャーチがクリスチャンが行ってお参りする、という以上の人生のセーフティ・ネット、心の拠り所になっているんだなと感じました。
――なるほど。
BIGYUKI:それから、全ての世代の人間がいること。学校だと自分と同年代の人しかいないじゃないですか。でも、教会には全世代がいて、ミュージシャンにとっても子どもの頃からベテランの演奏を目の当たりにできるわけですよ。大先輩がオルガンを弾いたり、ドラムを叩いている様子をキッズたちが横から見ている。たまに先輩が何かで演奏不能だった時に、演奏する機会を与えてもらったり。そういう上の世代から下の世代への、伝授というか教育。横の繋がりだけじゃない、縦の繋がりがチャーチにはある。年上の人に教えてもらう機会って、結構あるようでないじゃないですか。だからそういう意味で、若い頃からそういう環境があるのは本当に素晴らしいなと。アメリカの文化や音楽の根幹だなと思いますよ。ヒップホップにしろ、R&Bにしろ、それが音楽の根元の部分。
――そういう視点で日本を見て、感じることはありますか。
BIGYUKI:そこまで語れるほどの知識はないですけどね。やっぱり文化が違うし、そういう意味でのチャーチはない。では、それに代わるものは一体何なんだろうなと考えます。音楽学校になるのかな。そうなると、やっぱりできる人も限られてきますよね。全員がピアノを家庭で買ってもらえるわけでもない。特に僕が日本で思うのはドラム。ドラムを全身全霊で叩ける様なスペースとか機会とかが日本には本当にない。チャーチで思うのは、みんなドラムを爆音で叩くんですよ。ちびっ子が叩き得る最大のボリュームで叩く。よく「教会あがりのミュージシャンは音がみんなデカい」「ドラムがうるせえ」って半分冗談で言うんです。そういうドラマーはテクニックはあるけど、音がとにかくうるさいと。
でも、僕が思うに、爆音で演奏できる体力やバネを獲得した上で、色々な音楽性や緻密な楽器のコントロールを勉強したり、ボリュームを押さえた演奏の練習をした方がいいんですよね。ちっちゃい音でずっと練習してた人が、その後に大きな音を出す練習をするよりも、逆の方が順番的に簡単なんじゃないかなと思うんです。そういう意味でも、爆音で音を出せる環境があるのは大きいなと。日本は住宅環境的に難しいんじゃないかとは思いますけど。でも、発想的な観点から見ると、おもしろいものを持っているアーティストや作曲家がたくさんいるんじゃないかとも思ってます。
――そういえば「2060 Chiron」のMVでは野性爆弾のくっきーさんとコラボレーションしていましたね。
BIGYUKI:昔から大好きで。野性爆弾はYouTubeでたまたま見つけたんですよね。5、6年前くらいかな。『野爆テレビ』という番組のケーキ作りをするという企画で。くーちゃんが作ったのが『ゆっくりしいや』というタイトルの棺桶ケーキだったんです(笑)。そんな爆発的な発想をして、それを具体化する人間が世の中にいるんだなと思って、驚きました。YouTubeで見れる動画は全部見ましたね。それはまだ自分の活動もしていない時だったんですけど、その頃から色々な人と「一緒にやりたいと思うアーティストは?」という様な話をしていて。くーちゃんとは一緒にやりたいとずっと思っていたんです。そうしたらひょんなところから繋がって。くーちゃんはやっぱりすごくて、音楽が霞むかもなと思いました(笑)。彼はもう日本人とかそういう範疇に入らないんじゃないかな。
――現場で、そういう人種的なことを考える瞬間はありますか。
BIGYUKI:いや、アメリカでは日本人も韓国人も中国人も一緒だから(笑)。でも、自分が東アジアだなと思う瞬間はあって、それを“オイシい”なって思ってます。もちろん音楽に国籍は全然関係ないんですけど、敢えて言うとするならば、オイシい。何も知らない人が僕を見た時に、(アジア人だから)期待値を低く見積もられているなって感じることがあるんです。そういう時にガーンとぶち上げて、ビビらせるのは好きだったりしますね(笑)。でも、普段一緒に演奏している連中は、僕をアジア人と思ってないと思いますよ。ひとつのエネルギーの玉、みたいな感じというか。自分がミュージシャンとして、人種とかバックグラウンドとかを超越したところで活動できるのは、本当に恵まれているなと思います。自分の出自などで評価されることがなく、「自分が今どこにいて、何をしているか」ということで評価される世界だから。それはありがたいですね。だからこそ、僕もあまり人種を意識したことがないのかもしれません。
それにNYって、色々な人が色々なところから来てるから、ぐちゃぐちゃなんですよ。でも、それがイコール・アメリカなわけでもなくて。アメリカをツアーで周って、色々な人間に会いました。アメリカの田舎の方でずっと生活を営んできた人からすれば、僕がどこから来たのか気になる人もいるんだろうなって感じます。だから、自分のやっていることで、目に見える以上のエネルギーを与えることができたらな、とは常々考えていますよ。
――リズム感的なところはどうですか?
BIGYUKI:やっぱり生活の中に音楽がある人とない人がいるとは思います。ダンサーじゃなくても、音楽がかかった時に自然に体が動くかどうか。あとよく聞くのは、キューバとかに行くとサルサのリズムがすごく自然に入ってくるらしい、とか。パーカッションの人がインドで勉強して、滞在中にできるようになった演奏が、アメリカに帰国したらできなくなっちゃったとか。
たぶん、その土地の空気感とかも音楽にはすごい内包されているんじゃないかと。さっきの黒人音楽の根底にあるチャーチもそう。そこで小さい頃から音楽に触れて育って、そこから奨学金とかをもらってバークリーやニュースクールみたいな学校に行って、そこでジャズとかを勉強して。そういう風に音楽性が広がっていくんですよ。バックグラウンドがあるからこその音楽なので。そういう人たちが作る音楽は全てを含んでいるんですよ。生活さえも。
――では、そういう空気感を持っている音楽を日本で吸収しようとするなら?
BIGYUKI:今ならYouTubeで有名なアーティストの演奏も全部見れますし、情報的には恵まれてますよね。その中で音楽を形成する文化的な要素、思想やバックグラウンドを理解して音楽を聴くべきです。そうすれば、もっと自分のものになるんじゃないですかね。日本はそういう意味のチャーチはない。でも、そういう音楽が好きで模倣するサウンドと、それに至る過程を理解して奏でる音は絶対に変わってくると思う。そこをどうやって埋めるか。リズム感もそう。クオンタイズからわざとズラして、「これがJ Dillaのリズムだ!」という乱暴なことではない(笑)。
研究しようと思えばいくらでもできるんだけど、そうじゃなくて。それはあくまで後付けで、そこに至るまでにはそのアーティストが聴いてた様々な音楽があって、それが脈々と繋がっている。アートのいいところって歴史が繋がっているところだと思っていて。だから、今は情報があって恵まれているけど、その上でさらに自分のものとして理解して、初めてその人の人生が音に反映されるんじゃないかな。
――最後にライブへの意気込みを。
BIGYUKI:大きく言うならば、今の自分が考えている正直な音をフィルターなしで出せたらなと思っています。考え得る最高のメンツでそれをやりたい。メンバーは同じメンバーです。僕の考えでは、同じメンバーがずっと残っているチームが理想なんですよ。そのなかに本物の何かがあると思ってるので。それはどんなバンドでも、ビジネスでも何でも。あと、今回のライブだからこそ、というものがあるとすれば……日本で公にやるライブとしては3回目かな。今までに来てくれた人が聴いたことのない曲、音楽、アプローチをしようと思うので、ぜひ観に来てください。
【イベント情報】
“LIVE IN TOKYO 2018”
日時:2018年11月26日(月) 開場 18:30 / 開演 19:30
会場:東京・渋谷 WWW
料金:前売り¥6,000 (1D代別途)
主催/企画:and Tokyo
制作:SMASH
問い合わせ:SMASH TEL 03-3444-6751 smash-jpn.com / smash-mobile.com
チケット一般発売:2018年10月27日(土)10:00〜
e+ / ローソン(L:75273) / ぴあ(P:132-283)
英語販売あり / iFLYER / 岩盤