おぎやはぎの空気感に癒される日々です。今年も、音楽と同じくらいラジオ番組を聴きました。前者は目に映る景色を鮮やかにしてくれ、後者は意識を切り離してくれるものだと捉えています。外から内へ潤うことと、内から外へ空にすることの違いと言いますか。でも、どちらにも共通しているのは“想像”の余地があること。それがたまらなく好きなんですよね。
5. Let’s Eat Grandma / It’s Not Just Me
ポップ・ミュージックはよく化学反応を引き起こす――とは言っても、これほど精錬されたサウンドというのは有りふれたものではないでしょう。さて、彼女たちが投げ入れたのはエクスペリメンタル。すると、ポップネスは濁るどころかたちまち200%に跳ね上がります。驚くほどの快感。この意外性にはきっと誰もが中毒になってしまうはず。
それと同様、Yves Tumorの最新アルバム『Safe In The Hands Of Love』も、心を鷲掴みにするメロディとともに前衛的なサウンドを展開しています。はたまた、そういう奇跡的な事例……というか存在としてならSuperorganismを引き合いに出してもいいかもしれません。
いずれにせよ、嬉し泣きしてるような音楽はいいですね。
4. Les Louanges / Tercel
これからの活躍に期待が膨らむ、モントリオールの新星。彼の楽曲に惹かれてしまう理由とは一体何なのでしょう――私はそのどこかに、“引き算の美学”のようなものを感じているのかもしれません。ミニマルなグルーヴは色気があり、さらに素朴な歌声とのコントラストによって互いのよさがいっそう引き立つ、感じ。
彼のジャズ・スタイルには哀愁が漂い、どことなくPuma Blueを彷彿とさせます。ただ、香り付け程度にベース・ミュージック風のアレンジを取り入れることで、モダン〜コンテンポラリーな仕上がりに。加えて、サウンドから皮や木の質感が伝わってくるのも大きな魅力となっています。
3. 小袋成彬 / Daydreaming in Guam
https://youtu.be/sS33yPabFXo
作品の所有者は受け手である――そう言い切ることはもうできません。というのも、この詞曲と出会う以前は、「いろんな解釈があって当然だし、咀嚼されて初めて芸術は完成する」と考えていました。しかしその観念は揺らぐことになります。
前提として、視る者を混乱に陥れるものを私は“アート”と呼びません。社会への訴えだったり自身の内観が定かじゃないのに「ほら考えて」と、よく分からない物体を突きつけてくるなんて無責任だし。あれこれと思い巡らすのは楽しいけれど、欺瞞には付き合っていられないのです。だから、自らの立場を変えるつもりもありません。ただ、本物をやる人の思惑については屈曲なくありのままを“理解”したいと思うようになりました。このおこがましさをどうか赦してください。受容とか吸収のレベルではどうにも足りなくて。
さて、楽曲について。おそらく意図的でしょう、リリックには巧みにカムフラージュが施されています。これが聴き手の勝手な思い込みを誘うのです。つい、ラブ・ソングの筋書きと錯覚してしまいました。しばらくの間そこに気づかなかった自分が情けない……。
「僕らを睨む君の親父の遺影」特にこの部分なんか完璧じゃないですか。こういう謎めきは大歓迎。続く言葉に興味が湧きますから。やっぱり作品の良し悪しというのは、アカウンタビリティの有無に拠るのではないでしょうか。「なぜ親父の誕生日に」や「白昼夢のなかに意味なんて求めないからさ」などの詞がその役目を果たしています。
以上、かなり個人的な主張になりました――もっと時間を大切に過ごせばよかった、高校生の自分に聴かせてやりたいよ。ありがとう。
2. Actress x London Contemporary Orchestra / Chasing Numbers
Laurel HaloとEli Keszlerがそれぞれ新作をリリースし、共演まで披露してくれた2018年。この2人の他にも、現代音楽を大きく進歩させたファクターがあります。それはDarren CunninghamとLCOによるアルバム『LAGEOS』です。
この作品によって音楽の領域は拡張したと言えるでしょう。でも実際は、かなり原始的なことが行われていたりします。ただ、それは思い出したというよりも、新たに獲得したと言うほうが正確なように思うのです。電子音楽とコンテンポラリー・クラシックは、互いに運命の相手を見つけ出したんですから。
1. Blood Orange / Saint
今年リリースされた豊かな作品群のなかでもひときわ光を放つ、重要作『Negro Swan』。こちらは、有色人種やクィアの価値観を語る上で外すことのできない一枚となっています。ロンドンの音楽プロデューサー・Dev Hynesは以前にもそうしたテーマを扱っていますが、私にとっては今作のほうが印象的でした。それはメッセージだけでなく、全体的に秋らしい色彩が添えられたサウンド・イメージが深く胸に刺さったから。
そして、なかでも「Saint」は別格です。もはや私たちのアンセムに等しい。旋律や展開の美しさに、なんだか希望すら湧いてきます。Aaron MaineとBEA1991によるコーラスには、恐るおそる歌い出しているような雰囲気がありますが、そのリリックを見てみれば腑に落ちるはず。それがまさに抵抗の意志そのものだからです。そして彼のボーカルも同じ皮肉を繰り返します。ただ、差別の愚かさを突き放すように。
初めはキーボードの響きもどこか諦めたように聞こえますが、Adam Bainbridgeが歌唱に加わるころからは少しずつ目つきが変わっていきますね。それから、「Spreading all my love for you」からの一節を2度繰り返すのなんて、とっても執拗で最高じゃないですか。Ava Raiinとともに優しく歌い上げてはいても、そこに強い怒りが顔を覗かせています。これこそが“表現”だなと思うわけです。――素晴らしい秋になりました。
Comment
マシン・サウンドを駆使するSmerzやLoticのような新派も含め、オルタナティヴR&Bに傾倒した一年でした。そのほかには、レフトフィールド・テクノ周りでTzusingやM.E.S.H.の来日があるなど、とても刺激的だったなという印象です(本当にかっこよかった……)。そんな風に活況を見せた各所のライブハウスやクラブで、2019年にはどんな音が鳴らされるのか今から楽しみでなりません。
でも、そういう場から出ようとする努力も大事だって気づきました。同じ空間に通うというか、もはや溜まっている感じで、自分の“通気性”が悪くなっちゃってはいないかなと。いろいろな考えに触れたい、やっぱり海外に行きたいなとも思います。そこまでコストをかけなくても、違うジャンルの音楽コミュニティというよりはもっと大きな枠で、文化圏を跨いで話したいですね。まあ政治だけじゃなく、カルチャーにまで無関心な若者で溢れ返るこの国では、それは容易じゃないかもしれません。けれども現状を嘆く暇があるなら、とにかくアクションを起こしたい。何ならミュージシャンも、音楽のために用意されたステージを降りてまったくの別世界でやってみたらいい――と思っています。音楽ってあらゆる物事のハブになるじゃないですか、その力を知ってますよね我々は。
番外編マイ・ベスト
「ベスト美術展」
“ピエール・ボナール展@国立新美術館”
『親密(Intimité)』と題された絵画からは、無音が聞こえました。
Text by hikrrr