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INTERVIEW / in the blue shirt


1月に1stアルバムが待望のLP化を果たすin the blue shirt。独自の出自を持つ彼が、一体どのようにして現在の立ち位置を確立したのか

2016.12.31

〈Maltine Records〉や〈TREKKIE TRAX〉からのフックアップを受け、界隈からは大きなプロップスを集めるトラックメイカー、in the blue shirt。
今年初めにリリースされたtofubeatsのリミックス・アルバム『POSITIVE REMIXES』にリミキサーとして抜擢された勢いそのままに、今年10月には初の全国流通盤となるCD作品『sensation of blueness』を〈TREKKIE TRAX〉よりリリース。また、同月の〈Maltine Records〉主宰の”「大都会」と「砂丘」”に出演した際は、「大都会」側の一番手ながらも、ピークタイムさながらの盛り上がりをみせるなど、界隈での盤石な地位を確立している様子が伺えた。

そんなin the blue shirtこと有村崚のこれまでの軌跡を辿るべく、Spincoasterでは”「大都会」と「砂丘」”の翌日にインタビューを敢行した。彼のバックボーンからシーンでの立ち位置、そして音楽制作への向き合い方など、様々なことを深く、時に雑談混じりに語ってくれた。
公開が遅れてしまったが、前述の『sensation of blueness』も1月11日に待望のLPとしてリリースされるということで、この機会に彼と彼を取り巻く若いトラックメイカーたちに共通する空気感や心情などを汲み取ってもらえれば幸いだ。

Interview by Takazumi Hosaka
Photo by Yuma Yamada

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―まず、就職が決まったそうですね。今後の拠点ってどこになるのでしょうか?

はい、就職決まりました。でも、まだどこに配属されるのかわからないんですよね。勤務地決まるのが1月とかなので。本当にド地方に配属されたら、たぶんそのままド地方音楽野郎になりますし(笑)。

—東京だったら?

東京とか関西とかやったら今と変わらないと思いますね。でも、イベントに出る本数がこれ以上増えることはないと思うんですけどね、たぶん。

—なるほど、では、今日はin the blue shirtのこれまでの軌跡について辿っていくという形でインタビューさせてもらえればと思います。まず、in the blue shirt名義で制作を始めたところからお聞きしたいのですが……。

始めたのはたぶん、2011年くらいからだと思うんですよね。この名義をつけたのがいつなのかもハッキリ覚えてないんですけど、最初インディー・ロック系のイベントに遊びに行くようになって、それで19歳くらいの時に優作(元OMEGABOY、TalkingCity1994/現・Solei Soleil)が現れて、「自分で音楽作ってるから聴いてみてよ」みたいな感じでCD渡されたんですよ。しかもOMEGABOYってめっちゃ汚い字で白いCD-Rに書いてあるやつを(笑)。

あの時優作はたぶん「electribe」っていう機材で曲を作ってて、今よりももうちょいテクノっぽかったし、めっちゃ雑だったんですけど、「こんなん作ってるやついんのか!」みたいな感じて衝撃を受けて。それで当時チルウェーブみたいなのが流行り出してたじゃないですか。僕はホンマにToro Y Moiとかが好きやったんですけど、それとは別に本当に宅録クソ野郎みたいな、何か「もうちょいちゃんとやれよ」みたいな雑なやつらもいっぱいいて、「こんなんやったらおれでもできるやん」ってずっと思ってたんですよ。そういうタイミングで優作が曲作ってるってことを知ったのと、そのタイミングくらいで大学の留年も決まって。やることがなさ過ぎたので「じゃあ、曲でも作ってみるか!」ってなり、ソフトを買って制作を始めたんですよね。

(※OMEGABOY時代の楽曲)

—優作くんとは元々繋がりとかがあったわけではなく?

そうですね。本当にイベントで知り会ったって感じですね。

—優作くんやその他、そういった関西のインディ界隈と繋がったイベントって、具体的にどういうイベントですか?

たぶんzicoくんがやってた”OZ”とかだと思いますね。

—じゃあそれ以前の、例えば高校時代とかの音楽歴とかを教えてください。

中学生くらいの時から「英語の歌、カッコイイ!」みたいな単純な感じで洋楽のロックに突入して、典型的な『rockin’on』読者みたいな感じで「Green Dayまじヤバい!」みたいなところから始まり……。キッカケは具体的に思い出せないんですけど、その後Animal Collectiveとかああいう”いわゆるUSインディっぽい”感じのが出てきた辺りから、そういう音楽を聴き始めましたね。

それくらいの時からBibioも聴き始めて。たぶん大学入った時くらいが〈Warp〉から出した1作目『Ambivalence Avenue』ぐらいやったと思うんですけど、あとThe Avalanchesとかもそこら辺で知って、「これや!」みたいになりましたね。そこから高校の時はそのUSインディーっぽいのとかBibio周辺を聴いてましたね。

元々僕、兵庫県の西宮出身なんですけど、大学進学で2010年に京都に引っ越して。そのくらいから徐々にMySpaceからSoundCloudにみんな移行しだしたような気がするんですよね。Blackbird Blackbirdも曲をUPし始めたり……あぁ、でも、ここら辺は時系列がちょっとわからなくなってますね(笑)。

で、まぁ京都に住み始めたので、やっぱりJET SETに通うようになるんですけど、Hotel Mexicoが1作目出した頃で。当時まだ18歳だったので、「何かよくわからないけどイケてる兄ちゃんたちがイケてることやってる!」って感じで興奮して。

—最初の頃ってin the blue shirtって名前でサンクラのアカウントはあったものの、リミックスとかはちょいちょい本名名義でUPしてましたよね。

そうなんですよね。サンクラはとりあえず曲置き場みたいな感じで、最初自分の本名でUPしてたんですけど、やっぱ音楽ってちゃんと作ってちゃんと出した方がいいって思ってて。最初は「ただ遊びで作ってるだけだから」っていう謎に言い訳してる感じだったんですけど、やっぱ雑な奴らが雑に曲UPしてるのを見て、「こいつらはこんな雑な感じでやってんのに、なんでおれはこんな細かいこと気にしてるんやろ」みたいな気分になってきたんですよ。

—それはさっき言ってた、海外のチルウェーブ系のアクトですか?

はい。ブログ文化がめっちゃ流行ってた時に、そういう海外のブログとかもよく見てて。そこではよくわからない奴がよくわからない音楽を紹介してるんですよ。すごくかっこいいんですけど、それにしても「どこで録ったらそういう音になるねん」みたいなモノも結構あって。「iPhoneのマイクで録ったんですか?」みたいな。そういうのを聴いてると、「おれは何でこんな小っさなことを気にしてんやろ」みたいな気持ちになったんですよね。

それでとりあえず名前つけるかってなって、ちゃんと名義考えてアカウントも作ったんですけど、でもやっぱ最初は気持ちの切り替えができてなかったんでしょうね。今でこそちゃんとやってる気がしますけど。

—ちなみに、僕のライブラリの中では本名名義でUPしてたミツメのリミックスが一番最初でした。あれが確か2012年とかですよね。

なるほどなるほど。あのミツメのリミックスも今聴くとヤバいですけどね。ようやったわ、あんなんしかできひんうちに(笑)。

—ちなみに今となってはかなり定着してしまったあのパラッパラッパーのアイコンはどこからきたのでしょうか?

あれに辿りついたのは、元々友達があの顔の部分だけを書いたんすよ。パラッパラッパーとか関係なくて。中身のパーツの部分あるじゃないいですか。目と鼻と口。最初はずっとそれをアイコンにしてたんですよ。そのパーツが僕の似顔絵とかそういうわけでもなく。で、今度はまた別の奴が顔を作ったんですよ、パラッパラッパーの。「パラッパラッパー、ヤバいな」って話をしてた延長で、もとからあったパーツにその顔をつけて。そしたらそのキメラ感がヤバくて。一人の人間が全部書く感じでは出ないんですよね、あのグルーブというかキメラ感は(笑)。

サンプリングってわけじゃないですけど、その歪な感じがいいなって。なんかキャッチーじゃないですか、僕自身はその制作にひとつも関与してないし、こういうの作ってくれって言って発生したものでもないんですけど。

—ある意味in the blue shirtの音楽性をも表してもいるっていう(笑)。その後、今の音楽性に辿り着くまでには、『FOGPAK #7』に収録されたTomgggの「Fizz」で受けた衝撃が大きかったそうですね。

いや、ヤバかったですね、あれは本当に。時系列がマジで怪しいんですけど、2010年前後ぐらい、高校の終わり頃にニコニコ動画に謎にめっちゃAnimal Collectiveとかの曲をUPしてるやつがいたんすよ。で、そのプレイリストにBibioの曲とかもめっちゃ入ってて、「こいつ何者やろ?」ってずっと思ってたんですけど、実はそれがRedcompassだったんですよ。

それもあって、あいつが主宰してる『FOGPAK』のコンピ・シリーズもずっと聴いてて。でも、結構最初の方、『FOGPAK #5』とか『FOGPAK #6』辺りまでは、”INNIT”とかSeihoさん周りとかの関西のビートメイカー周辺色が強いメンツだったんですよね。

—そうですよね、今よりももっとビート・ミュージックとかエレクトロニカ色が強かったというか。

そうなんですよ。で、何かいつかは自分も『FOGPAK』に応募しようとは思ってたんですけど、『FOGPAK #7』のTomgggのあの曲に衝撃を受けて、その次の『FOGPAK #8』に「slight intoxication」って曲で参加できたんです。あの曲は今でもめっちゃ好きですね。

相変わらず時系列が曖昧なんですけど、『FOGPAK #7』が出るちょっと前ぐらいからAnd Vice Versaっていう名義で曲を作ってる久保さんがやってる”Idle moments”とかあの辺のイベントに行くようにもなって、Seihoさんとかが”INNIT”っていうイベントも始めて。”INNIT”は音楽を作ってる人は自分の作った曲をCDに焼いて持ってきたらエントランスを割引してくれて、しかもブースにまとめて置いてくれて、来場者とかが自由に試聴できるっていう変わったイベントで。自分の作ってる音楽は100%毛色が一致してるって感じではなかったんですけど、家でパソコンで音楽作ってるみたいな、めちゃくちゃ大きな括りでいうとまぁ、一緒じゃないですか。それで結構通うようになって。そこでこれまでとは違った界隈の、音楽を作る友達とか知り合いもできて。その辺りで『FOGPAK #8』が出て、あの曲の反響もあって、やっと音楽作ってる人感が徐々に出てきたんですよね、自分の中で。

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—音楽制作を始める前から遊びに行っていたロック中心の界隈と、今おっしゃっていた関西のビート・ミュージック、エレクトロニック・ミュージックのシーンみたいなのって、ゆるやかに繋がっていたりしたのでしょうか?

音楽的にはどうか知らないですけど、範囲が狭いんですよね。同じような箱でみんなイベントやってるんですよ。それこそ京都のメトロとか。で、僕は本当にずっとメトロに行ってたんで、まぁ被ってるというか、繋がっていたところは絶対あったと思います。

—そこに遊びに行くようになったのは自然な流れで?

全然未知のエリアに頑張って踏み込んだって感じじゃなかったっすね。何か「こういうのもあるのか〜」っていう感じで行ってたような気がします。全く界隈が違うようなイベントに行く時は「よっしゃ、行くぞ!」みたいな感じにどうしてもなるじゃないですか。そういうのはなかったと思いますね。

—楽曲制作自体は最初からサンプリング主体で?

じゃないすね、最初は宅録の流れでした。ほんまに最初の最初、どういうのが作りたかったっていうのはちょっと思い出せないんですけど、でもギターを弾いてたのは間違いないです。

—それは優作くんに触発されて宅録を始めた当初から?

そうですね。優作に触発されたのも「あ、1人で作るっていう道もあるんやな」っていう部分で。僕はテクノとかハウスを全然ちゃんと聴いてなかったんで、音楽を作り始めた時はたぶんシューゲイザーとかじゃないですけど、ああいう感じがやりたかったんですよね。

—アノラックな感じというか、インディー・ポップものというか。

はい。普通に他人の曲コピーするのも好きだったし、具体的に何がしたいかとかあんまなかったんですけど、やっていくうちに今の方向性に固まっていきましたね。

—『FOGPAK#8』に続く形で、2014年には『FOGPAK #9 x SVNSET WΛVES』にも参加しましたよね。この時に収録された「Seven Bridge」は今では一部の界隈でアンセムのような曲となっていますが、当時の反響はどうでしたか?

そうっすね。でも、「Seven Bridge」はリリースされた直後よりも、後から大きな反響がきたんですよね。えーと、何だったかな……そうそう、Star Slingerの『Volume 1』が出たのが、いつだったけな。リリースされたタイミングと自分が聴いたタイミングも多分ズレてるとは思うんですけど。

—リリースされたのは2010年ですね。

じゃあ、たぶん大学入った頃ですね。あの作品で結構「こうやるんや!」っていう発見があったんですよね。その、いわゆるヒップホップっぽい手法で、ヒップホップっぽいビートなんですけど、そこにカットアップされたボーカルが乗っかるっていう。「あ、こういうやり方もあるんや」って素直に感心したんですよね。それがひとつで。

あとはSeihoさんが「I Feel Rave」を発表して、当時はその界隈のアンセムみたいになってたんですけど、「I Feel Rave」の声の使い方にも大きな影響を受けて。僕は元々ロックから入ってるのもあるので、ボーカルとまではいかなくても、やっぱり中央に歌を入れたいんですよ。ほんまに最初の頃は自分で歌ってたりもして。その数曲とかはもうこの世から跡形もなく抹消しましたけど(笑)。

あの昔のチルウェーブのシーンって「どんだけ歌下手やねん」みたいなやついるじゃないですか、ああいう感じで(笑)。

真ん中に歌入れたくて「歌入れるにはどうすればええんや」って模索していく中で、DE DE MOUSEがやってるような感じだったらイケるかもって思って。それで試してみたりもしたんですけど、あんま上手くいかへんなって思ってた辺りで「I Feel Rave」とかに出会って。「あ、こういう風にやるんや」ってなったんですよね。

そのボーカルの使い方と、Star Slinger的なビートの作り方を参考にしたのが『FOGPAK #8』の「slight intoxication」で。次の『FOGPAK #9』の「Seven Bridge」は、Wave Racerが出てきた頃で、それがヤバ過ぎたんでそれを真似しようってなって作ったんですよね。

—あぁ、Flight Facilitiesのリミックスがヤバいって言ってましたよね。

本当に。あのリミックスはヤバすぎて、「完全にこれ未来の音楽や……!」みたいなことをマジで思ったんですよね。あの時は。

—ちょうどそのぐらいから『FOGPAK』もちょっと方向が変わっていきましたよね。

そうなんですよね、だからあれはシーン全体の流れなのかどうかはわかんないですけど、ひとつの転換期のような感じはしましたよね。

—その後、マルチネにもフックアップされ始めますよね。最初は確かPa’s Lam Systemの『I’m Coming』のリミックスを手がけ。

えーっと、めっちゃ遡ると、昔の曲にLikeとか押してくれてて、昔から牽制はされてたんですよね。tomadさんに(笑)。でも確かに最初に曲がマルチネから出たのはパズラムのリミックスですね。いきなりtomadaさんから「リミックスやってくれ」みたいなメールがきて。

—それ以前からコンタクトはあったんですか?

なかったですね、初めて会ったのがなんかのマルチネのイベントの時だったかな……?

—”山”とか”東京”辺りですかね?

そうですね。”天”はもう出演してましたし。”東京”は遊びに行ったんですけど、あの時はもう知り合いやったような気がせんこともない……ぐらい。たぶん、何かの拍子にちょっと挨拶したぐらいの感じでしたね。

元々ずっと音楽制作を始めた時ぐらいから、もちろんマルチネの存在は知ってて、いつかは出したいなってのはずっと思ってたんです。でも、どこかで何か他人事感っていうか、そこまで自分と他の人の実力の距離を測る能力もなかったので、「まぁ、無理やろな」って勝手に思ってたんですよね。

—「I’m Coming」のリミックスに参加してからは何かが変わりましたか?

いや、実感としては特にそんなこともなく。どうなんすかね、パズラムのやつとかどんぐらいみんなリミックスまでちゃんと聴いてるんですかね。

—そっから今やマルチネ界隈では知らない人はいないくらいの存在になりましたよね。

いつからこの感じになったんか、自分でもわからないくらいで。”東京”は普通に客として行ってて、”天”の時にはわりともう今の感じやったんですけど、その間に何が起こったかっていうと特に具体的な出来事が起こったわけでもないという。

—でも、そのころ東京でのイベントとかにもちょくちょく出てましたよね?

今みたいなライブ・セットを初めてやったのが、大阪でやったPARKGOLF、Redcompass、僕っていうラインナップのイベントで。でも、それが何年前なのか今は本当に思い出せない……(笑)。(※2014年3月29日CLUB STOMPにて開催された”OZ”

昨日もイベントに来たお客さんに「2年前のイベント、ヤバかったっす」みたいなことを言ってもらえて。渋谷LOUNGE NEOの周年のイベントだったんですけど。

—2014年の”家 – Yeah -“だ。

そうそうそう、〈TREKKIE TRAX〉のfutatsukiくんブッキングで。それが最初に東京でやったライブですね。あと、その後、元々結構大阪でやることが多かった”INNIT”が京都のメトロでやった回があって、そこに出演させてもらって。その時はめっちゃ人も来てたし、結構反応も良くて。あの時ぐらいから何か変わった感じはあった気がしますね。今考えてみると。

—外野からみてておもしろいな〜って思うのは、マルチネとか〈TREKKIE TRAX〉界隈のリスナーから支持されているけど、音楽性としては実は結構かけ離れているっていうところで。ライブ・セットはまた別ですけど。

そう、今回のアルバムとかもマジでそうやと思うんです。

—何か、そこに意識的に寄せていかないようにしてるのかなっていう風にも思いました。

というよりは、どちらかというと寄せられないっていう方が強いですね。やりたくてもできない。今言われたようにライブ・セットとかは盛り上がらないとダメなので。昨日のイベントでプレイしたやつとかも、組んでる時はあんまりそういう意識なかったんですけど、本番中に「おれ、めっちゃビルドするやん」って。ライブ中にハッとするくらいで。

—やっぱり楽曲制作になるとライブとは全然テンションが違う、と。

単純にライブ・セットでワーってやるのも好きなんですけど……。あの、今回のアルバムとかはほとんどが結構古い曲なんですよね。ただ、普通に僕いつもすることないんで、基本的にずっと音楽作ってるんですけど、そうすると自然発生的に「あ、これいいのできたな」みたいな感じでできることが多くて。そうなるとやっぱりああいうテンション感になるんですよね。

今回のアルバムの1曲目とかは2年前くらいにできた曲なんですよ。ずっと作ってるんで、ストックはいっぱいあるんですけど、その中でも気に入ってる曲を、去年の年末にマルチネからリリースしたEP『Cyanotype』と、今回のアルバムとで分けた感じなんですよね。感覚的には。

今回のアルバムに入ってる曲も全部大体tomadさんに聴いてもらったんですよね。「今どういう曲あるの?」みたいなことを聞かれたので。それでたまたま「これとこれがいいんじゃない?」って選んだのがそのままEPになったので、あれは結構”tomadセレクション”みたいな感じではありますね。実は僕が「出したいな」って強く思ってた曲と、tomadさんが「いいね」って言ってくれた曲がめっちゃズレてて、「あ、マジか」って思ったんですよ。「これがプロデュースか……」みたいな(笑)。でも、別にどっちも気に入ってる曲だったんで問題はなかったんですけど。それで今回はやっと残りの自分の「めっちゃ出したい」と思ってた曲をリリースできたって感じですね。

—ちなみに前々からミックスとマスタリングが課題みたいなことを、自分で言ってたと思うんですけど。

これは本当に。色々な人にも言われてますね。今回も全然課題として残ってますね。全部家でやってますから。

—今回特に変わったポイントは?

ないですね、何も。だから結構ヒドいですよ(笑)。ヒドいんですけど、やっぱこの全国流通する作品を結局全部自宅で、自分の独断のみでいけて、何とかなってるっていうのはスゴいなって思うんですけどね(笑)。

—〈TREKKIE TRAX〉との繋がりはいつくらいからあったのでしょうか?

それもトレッキーのイベントなんですよね。2年前くらいに東京でめっちゃ盛り上がったイベントがあって、そのちょっと前くらいに向こうから連絡がきたんですよね。「何か出しませんか?」って。でも、当時〈TREKKIE TRAX〉のことをよく知らなくて、「なんか東京のクラブ・ミュージックやってるやつらから連絡きた」みたいな。「なんやこいつら?」って(笑)。

あんまりクラブ・ミュージックに寄り添った人生を送ってきてるわけでもないので、最初はやっぱ謎のやつらだったんですよね。なので、「曲できたら連絡します」くらいの感じで、当たり障りなく返して。でも、次第にトレッキーのクルーと会う機会が増えてきて。みんな歳近くて自分で音楽作ってるし、結局めちゃ仲良くなって……って、そんな感じですね。

—同じく〈TREKKIE TRAX〉からリリースしているisagenくんとかとは元々知り合いだったんじゃないんですか?

isagenは僕の3つ下なんですけど、あいつは元々静岡出身で、大学入るタイミングで京都に来たんですよね。あいつとは昔好きだったアーティストが似通ってるっていうところと、あとは元々ネットでisagenのことを知ってたっていうのがあって。それで京都来て、同じようなところ遊びに行って……って感じですね。

—今回のアルバムをリリースしようって話が出たのは、〈TREKKIE TRAX〉と有村くん両者の何かしらのタイミングが一致したとか?

マルチネからEPが昨年末に出て、やっぱりそこで外れたやつを出したかったんですよね。あと今作のアートワークとかも、実は昨年末に原型ができてて。「何かちゃうな〜」ってことで使わなかったんですけど、それも活かしたかったんですよね。もちろんどっちがメインとかではないので、別にアウトテイク集っていうわけではないんですけど。で、元々は自主で出そうと思ってたんですよ。結構一人で全部やるのがイケてるみたいな思想を引きずってるので、あんま他人の力を借りるのもな〜ってなってたんです。そういうタイミングで〈TREKKIE TRAX〉から声をかけてもらったので、正直めっちゃ迷ったんですけど、結局は出すことになって。なので、最後の曲以外はほぼ全て出来てましたね。

—最後の曲「Beagle」だけは今作に向けて作ったと。

いや、実はそれもちょっとちゃうくて。最後の曲もほとんどメインの部分はできてたんです。できてたんですけど、普通に今ある曲をまとめて出すと、何か作った感ないというか、なんか寄せ集めた感じがあるじゃないですか。寄せ集めというか、自分で作って残ってる曲のベスト6みたいな。あの、「アルバムとしてめっちゃ統一感とか流れがありますね」みたいなこと言われる時があるんですけど、別に寄せ集めなんで流れもクソもないんですよね。ないんですけど、やっぱり最後にこう、「アルバムをまとめる」みたいな。ダルマの目に目玉入れるみたいな作業をせなあかんなって思って。それで最後の曲をちゃんと作リ直して足したら、何か作品としてまとまったな、みたいな(笑)。

—曲順を決める際は何を意識して決めたのでしょうか?

曲順はほんまに自分で垂れ流した時に、いい感じになるように並べたんですけど、基本的にはほぼ時系列順になりましたね。

—じゃあ1曲目「Dressing Up」が一番古いって感じですか?

そうですね。去年、MOGRAで”harusaki“ってイベントがあったじゃないですか? 「Dressing Up」はその時には間違いなくありましたね。

—bo enが出たイベントですよね。

あの時くらいに一番ライブでかけてたのがあの曲なんですよね。なので、結構古いです。

—さっきも言ってましたけど、ライブ・セットでは思いっきりビルドアップして、最近のクラブ・ミュージック的なトレンドを入れたり、ドロップもしっかり作るじゃないですか。それを作品には全く落とし込まないっていうのがおもしろいなって。

家で聴きたくないからですね、単純に(笑)。ライブ用に作った曲とかも溜まってるっちゃ溜まってるんですけど、ただ、ライブで使う部分しか作ってってないので、曲の始まりも終わりもないやつばっかなんですよね。でも、曲はあるっちゃあるので、別に出してもいいんですけど、聴きたくないんですよね、自分で(笑)。どんな顔して聴けばええねんって感じになるんですよね。……リリースした方がいいんですかね? (笑)

—ファンとしてはやっぱり聴きたいなって思っちゃいますけどね(笑)。ちなみに、就職が決まって、今後音楽制作との向き合い方みたいなのは変わると思いますか?

来年から住む場所もわからないですし、時間の取り方も謎なので、まだ何とも。ただ、年内にコレ作ろうっていうのももうないので。何か1回くらい年末にバンド・セットでライブやりたいなっていうのはありますけどね。昔からずっと言ってたんですけど、やる機会がなかったんで。今CD出して落ち着いたので、楽しく楽器を弾いて一年を終了させようかなって。あと京都に住んでるうちに、もう一回京都のライブ・ハウスに出たいっていうのもあって。

(※12月11日に京都Live House nanoにて実現しました)

アリムラ最初で最後のバンドセット!

Shuhei Kimuraさん(@shuhei_hey)が投稿した写真 –

—有村くんと親交のあるというか、仲の良いトラックメイカーの方々でもすでに音楽で生活できている人がいると思いますが、そういう考えは?

あぁ、それはないです。まぁ人によって違いますからね。音楽を作ることの目的が。

—でも知名度や評価が上がるにつれて、もっと音楽に時間を割きたいっていう思いなどは出てきませんか?

今でも自分の感覚的にはずっとやってる感じがあるんですよね。本当に「他にすることないんか? 自分!」って思うんですよ。結構昔のことを振り返るのが好きなんで、Twilogとかで1年前の今日の自分のツイートを見る、みたいな機能あるじゃないですか? あれで1年前の見てみると「牛丼食って、音楽作ってる」みたいな感じで、「うわ、おれ何も変わってへんやん」って思うんですよ(笑)。

—なるほど。あと、ずっと頭に残ってる言葉があるんですけど、たぶんTwitterで有村くんが「自分たちの周りは音楽を作ることの目的がコミュニケーションになってる」みたいな趣旨のことを言っていたように記憶していて。その真意についてずっと聞きたかったんです。

僕らが、というよりは、僕らより下の世代にそういうコミュニケーション感がある、みたいな。何て言えばいいんですかね……。

—曲を作って、UPするという工程自体がコミュニケーションになってる、と?

これは結構何を言ってるのかわからないかもしれないんですけど、音楽に、楽曲自体にコミュニケーションみたいな側面がどんくらい出てるのがいいのかなっていうことですかね。……何て言えばいいんですかね。もっと何かストイックになることもできるけど、どのくらいコミュニケーションが付随してるべきなのか、みたいな話っすね。

—例えばの話なんですけど、コミュニケーション的側面が多く割合を占める曲に対して、決して賛同ではないということですか?

賛同ではないというよりは……。

—疑問に思っている?

「どっちなんやろ?」みたいな。というより、やっぱり割合の問題なんですけど。やっぱり何か他人を突き放すことでしかいけない領域みたいなものもあって、そこに到達してる感じが出てる作品とかはやっぱり「ヤバい!」って思うんです。でも、もちろん自分自身で音楽制作をしていて、そこでできた友達もいっぱいいるわけで。それこそ海外のStar Slingerとか、Spazzkid(現Mark Redito)とか、よくわからないんですけど、「ウワ! こいつの曲、何かおれの曲と似てる!」みたいな感じが結構ヤバくて。どっちも僕が一方的に「こいつヤバい」みたいに思ってたんですけど、蓋を開けてみたら向こうも自分の曲を聴いて、同じような気持ちを抱いてくれてたみたいで。しかも1度や2度じゃなくて、割とそういうことがあるんですよ。

—Maxoとか?

あいつもそうですね。「Seven Bridge」出した時にMaxoが「これ、声どうやって切ってんの?」ってメッセージをくれたりして。「こういう感じで海外から連絡くるんや、外国人すげえな」って思ったんですけど。だから、それって結局あれじゃないですか。音楽コミュニケーションじゃないですか、完全に。

だからMaxoも僕と同じくらいの時期にWave Racerに衝撃を受けて、それに引っ張られた曲を作ったり。僕が「Seven Bridge」出したすぐ後にボーカルをバリバリ刻んだ曲出したりして。あとは「ボーカルのとこだけくれ」みたいに言われて、ボーカル・サンプリングだけ送ったら、そのあとほんま2ヶ月後ぐらいにすげえいい曲UPしてたりして、「早っ! ヤバッ!」って思ったんと同時に、やっぱりお互いに関心があるから聴いたり連絡してきてくれるわけじゃないですか。何か、それが……スゴいな〜って(笑)。

—会話じゃないけど、何かこう、それに近いというか。

お互いが何かを感じ合う、みたいなのは完全にコミュニケーションじゃないですか。別にそれはめっちゃいいことだと思うんすよ。でも、だからこそムズいな、みたいな(笑)

—逆に突き放した音楽というと?

具体的に何かと言われるとちょっとムズいですけど。……やっぱり何かもっと煮詰めた方がいいんかなって。

—自分の中で?

そうっす。ていうのもあって、「どうなんやろな」ってずっと思ってたんですけど、結局割合の問題で。どっちがいいとかじゃないんですよね。ちょいちょい話したりするんですけど、本当に山奥とかに住んでて、ひたすら曲作り続けてるけど絶対にネットにもUPしないし、世に出さない、っていう人がおったらヤバいなって(笑)。

—でも、今作を聴いて思いましたけど、最近の有村くんはあまり外部から影響を受けてないというか。

現行の感じはもうないですね、元々やりたかったことに引っ張られ続けてるというか。結局、やっぱり思春期からは逃れられない、みたいなところもあるんですよね(笑)。

—それこそ「Seven Bridge」以前とかの感じですよね。

「昔に戻った」みたいに言われることもあるんですけど、別に戻ったとかじゃなくて、ずっとそれをやってるっていう感じなんですよね。だから2年前に作った曲と今作った曲並べても、たぶんそんなに違和感ないしで、昔から何も変わってないな、みたいな。別に音楽作ることに関して信念みたいなのもないですし。音楽したくて音楽をやってるだけなので。

—今後も、生活の一部として曲を作り続けると。

そうですね。何かの拍子にめっちゃ変わることってあるんかなぁ……まぁなってみないとわかんないですけど。でも、ここまで何も変わらずにきたので、今後も何も変わんないのかなって気はしますけどね。

—例えば、tofubeatsさんのリミックスとかもやったじゃないですか。あれでも自分を取り巻く環境は特に変わりませんでしたか?

あ〜tofuさんのは……業界的な意味ではだいぶ変わったんじゃないですかね。やっぱり。僕のCDを流通させる上で、店頭とかでどれぐらい推されるかみたいなもののレベルは、「tofubeatsの『POSITIVE REMIXES』にリミキサーとして抜擢された」っていう枕言葉が付くだけで、だいぶ強くなるわけじゃないですか。今、都内のレコ屋とかで展開してくれてるのもきっとそれが大きいような気がして。たぶん、そういうフックアップ的な意味を込めて、tofuさんもあそこにぶち込んでくれたのかなっていう気もしなくもないですし。

—そのフックアップに応えて「よっしゃ、ドンドンいったろ!」みたいな思いは?

応えてというか……まぁ、タダ乗りしてる。僕は人の築いたインフラにタダ乗りしてる感じはだいぶあるんですよね(笑)。

僕らみたいなDTMで音楽作ってるやつが、去年ぐらいからみんなCD作品をリリースし始めたじゃないですか。Tomgggとかパーゴルとか。そういうのってやっぱり、ある意味「道なき道」じゃないですか。ああいうまだそんなに広く認知されてるわけでもない音楽性でCDを出す、みたいな。だから僕は彼らが切り開いてくれた道を歩かせてもらってるだけというか、もうある程度できてるフォーマットに乗っかってるだけ。他人の築いた領土でただのんびりしてるだけなんですよね(笑)。

何か今は居場所がちゃんとあるんですよね。ライブ・セットをやりたければやれるし、家で作った曲をリリースしたければ出せる。それでもってある程度の人たちがちゃんと聴いてくれる。でも、そういう環境って自分の力で勝ち取ったかって言われると、そうではなくて。周りが頑張ったからいい感じに整備されてるっていうだけなんですよね。

—まぁ、でも、それこそtofubeatsさんやマルチネとか〈TREKKIE TRAX〉がフックアップしてくれたのだって、元を辿れば全て有村くんの音楽的な才能だったりセンスがあってこそのものだし。

まぁ、そうなんですけど……。そうですね。そういう言い方をするとね、全てはおれの力で導かれたということに(笑)。

—もっと強気でいきましょう(笑)。全国流通盤をリリースしてからは何か反響とか、変わったこととかはありますか?

それこそ最初の頃はずっとSoundCloudのフォロワーも100人いない時期とかがあって。そん時は本当に友達が聴けるためにアカウントが存在しているような感じだったんですよ。で、『FOGPAK』とかで色々な人に聴いてもらえるような機会ができたっていっても、たぶん言うてもあれ友達の友達くらいまでの範囲なんですよね。おそらくですけど。

でも、そこからtofuさんのリミックスとかになると、絶対僕のことなんか知りもしない人が聴いてるっていうのが実感できて。それってある意味、遠投みたいな感じなんですよね。自分の手の届かない遠いところに曲を投げる感じ。

だから、元々自主で出そうと思ってたって言ったと思うんですけど、自主で出すとやっぱ友達が買うんですよね。それはそれでめっちゃ嬉しいんですよ、僕も友達が作品リリースしたら買うんで。でも、やっぱりなんか最後に一回くらいはこう、遠いところに広くバラ撒きたい……。

—「最後」って言っちゃってる(笑)。

最後……最後じゃないわ(笑)。最後じゃないけど、何だろうな、「どうなるのか、ちょっと一回やってみたい」っていう気持ちは結構あったんです。それこそタワレコの試聴機に入れてもらって、全然知らん人に聴いてもらいたい、みたいな。そういうのは自主で出してると絶対無理なことだし、これまでの経緯とか、文脈とかを全く知らん人がおれの作品を聴いて、どう思うんやろって。そこは結構興味がある部分で。

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—なるほど。では、お決まりだと今後の抱負的なものを聞いたりするんですけど……。

全然ないんすよね。現状維持みたいな(笑)。

―ですよね(笑)。じゃあ例えば、今後、商業的にちゃんと確立しているレーベルから声がかかったりとかしたら?

どうなんすかね。出せと言われたら作って出すんでしょうけど、でもやってることがやってることなんで。制約とかかかるのかな〜って。

—それはサンプリングの権利関係という意味で?

ですね。でも、実は今回も半々ぐらいなんですよね、サンプリングと自分で弾いたり打ち込んだりしてるのと。

—自分で弾いたり打ち込んでるものもサンプリングっぽく入れてると?

そういうのもあります。ただ、声ばっかりは自分でどうすることもできないので、ボーカル素材集みたいなのを買ったりどっかから引っ張ってきたりしてます。オケの部分は全部半々ぐらいなんですけど、通しで聴いても「全然違うな」ってならないんで、サンプリングの必要性みたいな部分は疑問になってて。

Skyler SpenceがSaint Pepsi時代にサンプリングで作ってた曲と、今自分で作ってるディスコっぽい曲って、本質的には一緒じゃないですか。あれを聴いて「なるほどな」と思ったんすよね。僕、「サンプリングで徳を積むと曲が作れるようになる」みたいなことをずっと言ってたんですけど、あいつらが世に巣立っていく感じを見て、「やっぱりな」って思ったんですよ(笑)。

やっぱり使ってる脳みそってそんなに変わらないんですよね。サンプリングで使って曲作るの上手いやつは、結局普通に自分で一から作っても良い曲作れる、みたいな。Saint PepsiからSkyler Spenceに名前を変えて、サンプリングも封印して新しく作った曲がマジでダサかったら、「結局僕らはサンプリングに頼らないと曲が作れない」みたいになりますけど、結局そんなことはなかったなって。

—じゃあ有村くんも十分サンプリングで徳を積んできてるでしょうし、Skyler Spenceみたいに飛び立っていける可能性もあるのでは?

いや〜、まぁ、僕がSkyler Spenceみたいに飛び立てるかどうかはまた別問題ということで……(笑)。


【リリース情報】

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in the blue shirt 『sensation of blueness』 LP
Release Date:2017.01.11 (Wed)
Label:TREKKIE TRAX / JET SET (JPN)
Cat.No.:TRV002
Price:¥2,700 (Tax In)
Tracklist:
A1. Dressing Up
A2. Melting
A3. Wind Bell
A4. Send Around
B1. Mellow Out
B2. Way Ahead
B3. Beagle
B4. Stevenson Screen

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in the blue shirt 『sensation of blueness』 CD
Release Date:2016.10.05 (Wed)
Label:TREKKIE TRAX
Cat.No.:CD_IN097
Price:¥1500 + Tax
Tracklist:
1.Dressing Up
2.Melting
3.Wind Bell
4.Send Around
5.Mellow Out
6.Way Ahead
7.Beagle


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