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INTERVIEW | killwiz


凄絶な生い立ち、ドクアノに救われた過去、NEW HYPER POP KINGへの道のり

2025.11.11

いまだカルト的支持が止まないハイパーポップの伝説的グループ、Dr.Anon。killwizは、その「ドクアノ」のリーダーとして、ponika名義で国内ハイパーポップ黎明期から活躍してきたアーティストだ。2023年にドクアノ解散後、時を経て、killwizとして音楽活動を再スタート。先日はEP『schizophrenia』で凶暴な電子音のうねりを響かせた。

これまで来歴が明かされず謎に包まれてきた彼女について、この度ついに話を訊くチャンスが訪れた。家庭内暴力、いじめ、自傷、家出——。18歳で2万円を握りしめて上京し、友人の家を転々としながらも音楽を辞めなかったkillwizのすべてが、今明かされる。ハイパーポップシーンの次を背負う決意、「“NEW HYPER POP KING”になりたい」と語る彼女の想いの、核心に迫った。

Interview & Text by Tsuyachan
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「殴られたりお風呂に沈められたり」──幼少期の家庭環境と学校でのいじめ

――年齢は非公開なんでしたっけ?

killwiz:隠してます。でも辰年です。

――それは言っていいんだ。

killwiz:あはは(笑)。ドラゴン。

――音楽をやりたいと思ったのはいつ頃ですか?

killwiz:子どものときから、歌手が夢だった。お母さんがずっと浜崎あゆみとコブクロを流してて、それをぼくも聴いてたから。お母さんはぼくの名前を浜崎あゆみから取ってつけるくらい大好きで。

――Ayuファンのお母さんから生まれた子なんですね。どんな幼少期でしたか?

killwiz:ぼくは北海道出身なんですけど、生まれて8ヶ月でもう両親が離婚して。父親はもともと両親がいなかったり、母親は母親で家庭環境がよくなかったり……。それもあって惹かれ合ったらしいです。でも決断を早まってしまって高校生のときにぼくが生まれて……蓋をあけたら、仕事行かない、暴力振るう、飲酒運転する、っていうクズコンプリートのお父さんだったらしくて。一回、「こいつがいるから俺の生活が大変なんだ」ってぼくを殺そうとしたって聞きました。そのとき、お母さんがタックルして助けてくれたらしい。

――8ヶ月なので、お父さんの顔はもちろん知らない?

killwiz:小学校4年生のときに、おばあちゃんちで家の中を探索してたら、タンスの中から1枚の写真を見つけてしまったんです。でも、ぼくは鈍感なので全然気づかなくて「あれっ? パパの顔じゃなくない? この人誰?」って言ったら、おばあちゃんがめちゃくちゃ慌てて、青ざめて。「大丈夫だからね、大丈夫だから」って抱きしめられた。ぼくは「みんなお父さんひとりなのに、自分は2人いて嬉しいな~」くらいにしか思ってなかったんですけど。

――その後、お母さんは再婚されたんですか?

killwiz:ぼくの生まれは北海道の田舎の方だったんですけど、5歳の頃に再婚して、新しいお父さんと一緒に家族で札幌に移り住みました。でも、また暴力があったりなかったりで。

――そのときは、どういった気持ちで過ごしてたんですか?

killwiz:うちは両親とも若かったし、子どもが子どもを育ててるみたいなことじゃないですか。今思えばそうなんだけど、でも当時はそれについておかしいと感じてなかったんですよ。悲しいことではなく、どの家も教育の一環として殴られたりお風呂に沈められたりされてるんだと思ってた。

――なるほど……。

killwiz:でしょ。みんな、そういう(暗い)反応になるじゃないですか。それで、後になってようやく「これって普通じゃないんだ、悲しいことなんだ」と気づくようになりました。本当に、当たり前だと思ってたから。

――学校ではどうだったんですか?

killwiz:それも同じで、いじめられてたらしいんですけど全然気づかなくて。小学生のときから色んな人に通りすがりに「ブス、死ね」って言われてたんですけど、それが嫌われているからされているって気づいてなかった。「えーっひどーい!(笑)」って言って過ごしてた。

その後、中学生になって教室でも部活でも男子も女子もみんなぼくに嫌がらせしてくるようになって。ぼくは合唱部だったんですけど、徐々にいじめが本格化していった。でもそれも、高校生になって、中学時代のことを友だちと話してたら「それ、いじめられてるじゃん」って教えてもらって気づいたんです。登校して教室に入ったらいつも「帰ればいいのに、死ねよ」って言われてた。近所のスーパーで会ったときとかも「キモい、死ねよ」って。

――いじめだと気づいてなかったのは、家でもひどいことをされていて、そういった扱いに慣れてしまっていたからですか?

killwiz:どうなんだろう……。でも、家でもずっと暴力を受けていたわけではない。お父さんは基本的には無口で、でもたまに怒ると暴力が止められなくなる。お母さんはその当時、鬱病やパニック障害があったから浮き沈みが激しくて。施設に送らせて欲しいって頼まれたこともありました。「あんたが普通じゃないから普通には育てられない」って。幼馴染と一緒に、「施設に送らないで欲しい」って手紙を書いたこともありましたね。

あとは、「あんたが同じクラスにいたら私も嫌いだよ」とも言われてた。でもそれは機嫌が悪いときって感じで、ぼくもあまり気にしてなかったかも。ただ、高校に入って、中学のときに受けていたことがいじめだとわかり、そこに明確な悪意があったと気づいて……少しずつ受け止めきれなくなっていったんです。


「18歳のときに、2万円だけ持って家を出ました」

――そういった辛さが、何か行動に表れましたか?

killwiz:これ(と言って腕を見せる)。でも、小6のときから腕は切ってたんです。ぼくは昔から本を読むのが好きだったから、(リストカットというのは)知識としてはあった。それで、むしゃくしゃするなと思ったときに気づいたら切ってました。ハサミを強く押しあてたりカミソリで切ったり。

ただ、高校に入ってからはコントロールが効かなくなった。馬鹿な高校だったから、周りのみんなも「ギロだ!(主にラテン音楽で使用される民族楽器)」って言ってぼくの腕をギコギコしながら歌ってた。醜形恐怖症だったので、顔も切りました。一重だったのでアイプチだけはやりたくて、でも学校に怒られるんですよ。こんな顔じゃ人前に出られないって言って、暴れたこともある。

――……。

killwiz:徐々に、ぼくが存在することが他者にとって不快なんだと思うようになった。そうなると、何を言ってよくてどれくらい気を遣えばいいのかわからなくなって。お母さんも精神的に不安定だったから、ぼくに対しても「あなたが精神病なわけない。甘えだからしっかりしなさい。死にたいなら死になさい」って言われました。

――それで……

killwiz:家を出た。

――どこへ?

killwiz:その頃に、東京に住んで音楽やってた友だちに初めて作った曲を聴かせたら「これは本気で音楽やった方がいいよ、本気でやるなら自分の家に住んでいいから」って言ってもらえて。18歳のときに、2万円だけ持って家を出ました。東京までの片道切符を買ったらあと数千円しか残らなかったけど。それで数年間も生き延びてるんだからすごいよね。

――18歳で2万円握りしめて上京した女の子が、どうやって暮らしていってどのように音楽活動を続けていったのか。

killwiz:プロヤドカリなんですよ(笑)。色んな人の家を転々として、そのあいだ家がなかった時期もあるし森の中の古い家に住んでた時期もあるけど。色んな人に助けられた。それで今は、最初に家に泊めてくれた人のところに戻って住んでます。

――自傷行為とかについては、今は……?

killwiz:ノー! 今はやってないです。あまり書けないと思うけど、その他の自傷行為的なものも全部今はない! ドクアノがぼくを救ってくれたんですよ。それまで末っ子ポジションだったのが、ドクアノ組んで一番年上のリーダーになって。それで、ダサいことしたら2人に迷惑かけちゃうなって思って全部断ちました。友だちも全員切った。ドクアノをやりはじめた2020年から、2022年くらいには全部やめた。

――それだけ、ドクアノが運命的な出会いだったということですね。今の話と並行して音楽についての話もぜひ訊きたいんですが、そもそもどういう経緯で音楽活動をすることになったんですか?

killwiz:ぼくは高校時代、バンドの音楽が好きだったんですよ。FACTとか相対性理論とか。それで最初はバンドをやりたくて何人かで一度スタジオに入ったんだけど、でもそこから一週間連絡返せなかったらぼく以外全員グループLINEから抜けてて。で、ひとりでできる音楽をやろうと思った。友だちの家で遊んでたときに、その子がニコニコ動画にあがっているネットラップを見てて、いいなと思ったんです。それで曲を一緒に作ろうということになって、今も一緒にユニットをやっています。それがnateちゃん。

――nateちゃんはそんなに古い付き合いなんですね!

killwiz:そうなんです。でも当時はまだオリジナルで曲を作ってる人があまりいなくて、タイプビートの文化だった。だからnateちゃんには歌の乗せ方とかを教えてもらいました。そういう流れがあって、magical ponikaという名義で曲をインターネットに公開しはじめたのが2018年です。その後『ミスiD2020』にもmagical ponikaとして出て最終選考に残りました。それでドクアノに入るタイミングあたりでponikaに改名したかな。

――ponikaとドクアノの活動を並行してやっていく時期に入ったと。ちょうどコロナ禍でしたよね。ドクアノの結成の経緯は?

killwiz:e5ちゃんと嚩ᴴᴬᴷᵁちゃんがネットで知り合って、最初は2人でやろうってなってたんですよ。でももうひとり入れようという話になり、e5ちゃんがぼくの曲を知ってくれてて誘われたという流れ。曲はみんなで作って、リリースまでの流れやギャラ交渉やMV制作についての裏作業はぼくがリーダーとしてやるようになりました。


「ネガティブな自分に飽きて、楽しい自分を見てみたくなった」

――最初ドクアノに入って、どうでした?

killwiz:それまではnateちゃんと一緒にユニットもやってたんですけど、一回大喧嘩したんですよ。それでもう口も利かない! ってなって。その2日後に「ドクアノに入ってくれないか」って連絡がきた。それで、自分の最後の活動になるかもって思った。

――ドクアノと言えば、“Blast”はJ-Hyperpop黎明期の名曲として語り継がれています。あの曲はどうやって生まれたんでしょうか。

killwiz:タイプビート探して昔からお世話になっているエンジニアさんに渡したら、全然違うあの形になって返ってきましたね。

—―MVも、初期ハイパーポップのサイケデリックなムードが詰まっている名作ですよね。

killwiz:ミックスがあがってきたときに外で聴いてて、映像が浮かんできたんです。ぼくは共感覚があって、音を聴いたらすぐに絵が浮かぶんですよ。この曲はMVを撮った方がいいんじゃないかなと思って、速攻2人に相談しました。そしたら、「いいね!」ってなってakifloatさんにお願いしました。ドクアノには誰がいて、どういう雰囲気なのかをちゃんと伝えようと思って、リップシンクより3人のビジュアルがわかるようにしたかったんです。ちょっとイメージビデオ的というか。2人からリファレンスをもらいつつ、細かなところはぼくの中に浮かんだ映像を元に監督に伝えていきました。

――その頃、e5ちゃんと嚩ᴴᴬᴷᵁちゃんとはどういう関係だったんですか?

killwiz:ぼくは2人とは友だちはじまりではなくメンバーはじまりなので、ドクアノを形成する仕事仲間として最初は接していたかな。ここはこの人のこういう特徴を前面に出すべきだ、という感じで俯瞰して考えるようになった。ぼくも今より若かったから、未熟なりにではありましたけど。

――2人に対しては、今どのような気持ちでいますか? イベントではたまに共演もしてますよね。

killwiz:e5ちゃんは愛の戦士。ぼくに無いものを持ってるけど、お互いに考えるのが好きという共通点も持ってる。「この問題についてぼくはこう考えるんだけど、e5ちゃんはどう?」って感じで話していくと、違う方程式なのに同じ答えになるときがあってそれがおもしろ。

嚩ᴴᴬᴷᵁちゃんは、e5ちゃんよりも一緒にいる期間が長かったので、今の精力的な活動を見てると純粋にすごく嬉しい。不器用な人だから、嚩ᴴᴬᴷᵁちゃんが楽しそうだとなんか嬉しくて温かい気持ちになる。ぼくはponika時代、ドクアノが中心にあったんですよ。ドクアノがあったから、そのバランスをとってソロ活動をしてた。アイデンティティが3人ともバラバラだし、ぼくはソロでも(2人と)キャラや音楽スタイルが被らないよう無意識に意識してました。

――そこから、killwizに改名して新たなスタートを切りました。

killwiz:ドクアノ解散して、なんかパっとしないなぁって思って占いの影響で改名しました。magical ponikaの時代から、SNSのidが「killwith cuteness」だったんです。当時はまだハイパーポップという言葉がなくてヒップホップやトラップだったから、ネームタグを入れる文化があって。ぼくはそのとき「killwith cuteness」って入れてた。でもkillwithだと、足を引っ張られる運勢らしくて。killwizだったら大吉運勢らしい! それで、Wiz Khalifaみたいに「z」を使えばいいじゃんと思ってkillwizと名乗りました。

――そもそもkillwith cutenessというのはどういった意味が込められてるんですか? 

killwiz:負けたくない、って気持ち。自分の気持ちで戦っていくぞって。一年前に、統合失調症になったんですよ。それで見えてる方向性が変わった。さっき言ったように、以前はアイデンティティがあるようでなかったんです。ドクアノありきのponikaだったし、外に向けてどう見せるかで曲を作ってた。そうしたらプレッシャーで壊れちゃった。人にどう見られるか気にしてたんです。生い立ちが関係してるのか、人の機嫌を極度にうかがっちゃうような性格で。ようやく回復して、killwizとして再スタートを切った感じです。

ネガティブな自分に飽きて、楽しい自分を見てみたくなった。ダサいって言われたら、「ダサくねーよ!」って言えばいいかなって。その頃、プロデューサーでマネージャーのSEMさんにも出会って本格的に音楽活動を再開しました。


「戦闘力高いスターになりたい」

――先日リリースしたEP『schizophrenia』はエレクトロニックなサウンドが満載で、カッコよかったです。

killwiz:わーうれしい! さっきも言ったけど、僕は共感覚があって、音を聴いたらすぐに映像が浮かんだり記憶が甦ったり言葉が溢れてきたりするんです。それを元にメロディと歌詞を同時に作っていくタイプで。『schizophrenia』のサウンド面はNGAくんっていうビートメーカーに全てお願いしたんですけど、全曲ビートが超カッコよかったから、すごく気持ちを込められました。こういうこと言うとキモいけど、ぼくは憑依型なんです(笑)。

――Xで「Hyperpop(現段階でそう形容されている新しいジャンル)がHipHopとかJ-popのサブジャンルになるのめっちゃ勿体無いと思ってる」とポストしてましたよね。そのあたりの真意は?

killwiz:あのポストに、いいねしてくれてましたよね。まだハイパーポップという言葉が出てくる前、ぼくのやってた音楽を「萌え声トラップ」って言われたことがあって。だから、そこに最初ハイパーポップと名前がついたときにすごく嬉しかった。やってる音楽の解像度が上がった気がしたから。

killwiz:ハイパーポップはまだ生まれたてのシーンだし、みんなでああでもないこうでもないと色んな意見を言い合って作ってる段階。だから、ハイパーポップを好きな子たちが今たくさんいる中で、現段階で「ハイパーポップって呼ぶのやめようぜ」なんて可能性を潰すようなことはしない方がいいんじゃないかと思う。それよりも、ハイパーポップのどこが楽しいかみんなで話した方がいいですよね。

シーンを形容する名前も解像度があがる度に更新されるだろうし。そこで、自分はファーストペンギン的なことをやりたいんです。色んなことに挑戦して、ハイパーポップの幅を広げることができたらいいな。それでダサいことになったら、「こっちダサいから来るなー!」ってみんなに教えてあげる。何にせよ、ハイパーポップがヒップホップやJ-POPのサブジャンルになるのはもったいないです。ハイパーポップが新しいJ-POPになるくらいのレベルにいってほしい。

――ちなみに、ハイパーポップが次のJ-POPになるには、どうすればいいと思いますか?

killwiz:圧倒的スターが出てくること。ぼくはお金とか数字とかの興味が薄くて、「毎日一箱タバコ吸えたらオッケー!」くらいの感じなんですけど、もっと戦闘力の高いやつがいないといけないな、とは思います。だから……なりたい! 戦闘力高いスターになりたいんです!

――なりたいんですよね?(笑)

killwiz:うん、なりたい。ぼくは、スターになりたい。Spotifyの月間リスナー1,000万人になりたい。

――1,000万人!

killwiz:(笑)。数字がないと、誰が一番か分からないですよね。みんなに一番だって認めてもらうには数字の指標が必要というか。王になりたいんですよ。「I AM NEW HYPER POP KING!」です。

――ハイパーポップのシーンで、誰にも負けない自分の強みは何だと思いますか?

killwiz:人生経験。このシーンで、自分みたいな経験をしてきてる人って少ないから。


「早く王の母親にしてあげたい」

――確かに。だからこそ、killwizの曲はペインを歌うファイトソング的要素がありますよね。でもそう考えると不思議なのは、なぜヒップホップの方にいかなかったのか? ということです。

killwiz:リスナーとしては、ヒップホップは大好きです。でもJ-POPも好きだし、バンドもアイドルもボカロも好き、全部好き。ただ色んな音楽を聴いてきた中で、一番自分の肌になじむ音楽がハイパーポップだった。

――ちなみに、それだけ色んなルーツがある中で一番好きなアーティストは誰なんですか?

killwiz:音楽を始めようと思ったきっかけは、ラジオで聴いたゲスの極み乙女。貧乏でネットがなかったから、ラジオを聴いてたんですよ。“キラーボール”が聴こえてきて、めちゃくちゃなこと歌ってるなって思った。自分に対して、あぁ卑屈になっていいんだって感じて。

もうひとりは、宇多田ヒカル。言っていいのかな……あの人、めちゃくちゃな人じゃないですか。そうじゃないと感じられない温度や質感を描いちゃってる。すごく影響を受けてます。

Photo:本人提供

――わかります。ヒップホップだと?

killwiz:SALUさん。感じたことのどこを言語化してリリックに採用するのか、という感性が独特で好きです。ヒップホップは、その人の考え方が見えるから好き。

――ヒップホップといえば、“GALFY6”でのYDIZZYさんとの異色コラボが話題になりました。

killwiz:前から好きで聴いてたので、夢叶ってるわ~と嬉しかったです。ギリギリまでお互いパートが埋まってなくて、録れるところからやっていこうって感じでした。フックもなかなかできなくて、YDIZZYさんやってくれないかなと思って聞いてみたら、「ここはkillwizちゃんがやってくれないかな」って思ってたらしくて(笑)。でもなんか急に降ってきて、「スタジオ入れてください!」って言って録った。そうしたらYDIZZYさんも「いける!」ってなったらしく、前半と後半で分けて結局2人ともフリースタイルでフックを録りましたね。

――そういったコラボも、ファーストペンギン的な動きですよね。これからの「NEW HYPER POP KING」としての動きがますます楽しみです。最後に訊いておきたいのが、今はお母さんとはどういう関係なんですか?

killwiz:今は仲良いんですよ。性格は合わないんだけど、住んでるところが物理的に離れてるから上手くやれてます(笑)。“GALFY6”もチェックしてくれてて、「グッドボタンが足りない!!」ってLINEがきました。早く王の母親にしてあげたいですね。

Photo:本人提供

【リリース情報】


YDIZZY & killwiz 『GALFY6』
Release Date:2025.10.21 (Tue.)
Label:LOUDROID
Tracklist:
1. GALFY6

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killwiz 『不貞腐 free style』
Release Date:2025.11.06 (Thu.)
Label:LOUDROID
Tracklist:
1. 不貞腐 free style

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■killwiz:Instagram / X


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