Interview

PAELLAS

音楽性もメンバーも活動拠点も、常に変化させ続けてきた孤高のバンド、PAELLASのキャリアを辿るロング・インタビュー!

Spincoasterでも度々取り上げさせてもらっていた大阪発、現在は東京を拠点とする5人組、PAELLAS
彼らはその音楽性もメンバー構成も、活動拠点さえも絶えず変化させ続けてきた。いや、現在に至るまで常に変化させ続けているバンドだ。
昨年辺りから活況を呈する東京のインディ・シーンと繋がっているようにも思えて、実は結成は2009年というキャリアの長さはあまり知られていないかも知れない。
周囲の環境や海外のインディ・シーンとも付かず離れずの絶妙な距離感を持ちながら、絶えず変化/深化を遂げてきた彼らは現在では既に孤高の存在と呼べるような、異彩を放つバンドとして日夜東京のライブ・ハウスを揺らしている。

今回、SPIN.DISCOVERY Vol.03に出演してくれることになったこの機会に、彼らがまだ”PAELLAS”ではなく、”The Paellas”と名乗っていた頃からの足跡を辿りつつ、現在、そして今後に向けて大いに語ってもらった……!

Interview:Takazumi Hosaka
Photo:Kohei Nojima
Location:Spincoaster Music Bar


—今回のインタビューはSpincoasterとしては初めてということもあり、結成から現状のPAELLASに至るまでの道のりをざっくりと順を追って辿って行きたいのですが、まずはボーカルのMatsumotoさんとベースのKanabishiさんを中心として大阪で結成されたんですよね?
なんでも当時の音楽性はサイケな感じで、日本語で歌っていたとか。

Matsumoto(以下:M):本当に一番最初はそんな感じですね。その時びっしー(Kanabishi)はスタジオ入ってもずっとダブみたいなベース・ラインばっか弾いてて「もう、わけわからん」みたいな(笑)。
で、その後大学を卒業して2人になったんですけど、その頃くらいから不思議と音楽の趣味が合ってきて。「The Drumsとか良いよね」って。その後2人だけやけど、びっしーがSoundcloudとかに音源をUPし初めた……っていうのが(PAELLASの)スタートですかね。……その前にAnanはおったんやっけ?

Anan(以下:A):そのちょっと前くらいかな。

M:Ananとはmixiで知り合って、ちょっとだけ一緒にやるんですけど、その後すぐにAnanがアメリカに留学に行っちゃって、また2人になっちゃったからセコセコ音源作ってネットに上げてっていうのを続けてました。

—ネットでの活動を中心としていたPAELLASが、一番最初にその名前を大きく広めるキッカケとなったのはやはりAno(t)racksからのリリースだと思うのですが、なんでもレーベル・オーナー直々に連絡をしてきたんですよね?

Ka:あの当時Soundcloudに上げていた音源に反応してくれた日本人が数人いたんです。

M:たぶん日本人で一番最初に反応してくれたのがあのオガダイさん(Ano(t)racksのレーベル・オーナー)やと思います。海外の人はぼちぼち反応くれた人いるんですけど、日本人は本当に数えられるくらいで。で、「ネット・レーベル作ろうと思うんだけど、何か出さない?」って言われて、2013年の初めに出したのが『Following EP』ですね。

—その『Following EP』をリリースしたあとの反応というのはどうでした?

M:そこそこって感じでしたかね……。その後に『Soon V.A.』っていうコンピが出るんですけど、その頃から結構反応をもらうようになって……。

Ka:CD出す話がきたのもその頃だよね。

M:で、音源の締め切りがその2ヶ月後、みたいな(笑)。
『Following EP』もそれなりに反応ありましたけど、やっぱり『Soon V.A.』の方が大きかったと思いますね。ちょうどその頃、関西は海外のインディ・バンドとシンクロしたようなギター・ポップが盛り上がってたっていうのを後追いで知るんですけど、そういうタイミングにも上手く合致したのかなって。

—その後2012年の11月にDead Funny Recordsから待望の全国流通盤となるアルバム『Long Night Is Gone』がリリースされますよね。

Ka:やっぱりCD出すってすごいなって思いましたね。リリパとかもやったし、そこから色々広がっていったり、色々な繋がりができたり、東京にも広がって……って感じですね。あれがなかったら今東京にも来てないかもしれないです。

M:そうですね。タワレコとかでも結構取り上げてくれたりして。

Ka:看板とかPOP付けてくれてたもんね。

M:そう! 看板貰っておけばよかったーと後から思って。
あの時は一番……(反響が)でかかったよね。ぶっちゃけあの頃はまだあんまオレらみたいなバンドがいなくて、今出してたら正直そんな反応なかったような気もするんですけど、あの頃は物珍しかったっていうのもあったんでしょうね。
……でも、その時くらいから自分たちが(自分たちの音楽性に)飽きてきちゃってて、あのままイケイケドンドンみたいな感じで調子に乗っておけばよかったものを、なんかやる気なくなっちゃって……。

Ka:メンバーが抜けたりもあって……。

M:ライブでずっと同じ曲やってたので、「なんかおもろないな」ってなってしまって。しばらくライブしなくなるんですよ。今考えたら“だいぶ適当だったな”って思いますね、あの頃は。

Ka:その頃に“なんでバンドやってんだろう”って考えたりして、色々悩んでいたんですけど、ちょうどそのくらいにAnanがアメリカから帰ってきて……。

M:めっちゃ飛ばしたな!(笑)

Ka:でも、そこら辺何も言うことないでしょ?(笑)

M:まぁ確かにな。でもこまっちゃん(Komatsu:Dr.)入ったの先でしょ。アルバム出して、一回ノリノリになって、その後飽きてきたなって時にドラムがやめて……、それでこまっちゃんが入ったんですよ。最初はサポートって形で。その頃はまだギターも別のやつでダラダラやってて……、それでAnanが2013年の夏くらいに帰ってきたんですよね。

—その後、2013年の10月に突如公開された「Sugar」が個人的には好きで、記事にもさせて頂いたんですけど。なんというかすごい変化の兆しを感じたんですね。

M:そうですね。でも、実はあれは一番バンドとして終わっている時に作って……。あれ1曲作るのに4ヶ月〜5ヶ月くらいかかったんですよ。

Ka:確かにあれは新しいことをやろうとしてたっていうのもあるし、音像とかも完全に変えたし、トラックはほぼひとりで作りましたけど、色々苦労しましたね。

M:ローファイはもうやめたいって思ってたんですけど、でもまだローファイから抜け出す勇気がないっていう微妙なラインでした。

Ka:バンドにとってかなり過度期だったことを象徴しているシングルではありますね。

M:アルバム・リリースから一年くらい経って、とりあえずなんか出さなきゃって思ってて、勝手にふたりで出しました。ちょうどその頃おれらの音楽的な趣味も変わってきてて、それが素直に反映された形なのかなって思いますね。

Ka:みんなあの曲リリースしたの、(当時は)知らなかったでしょ?

Komastsu(以下:Ko):いや、おれ聴いてたよ。

Ka:本当に?(笑)

—確かにあの曲が出た時は海外のインディ・アクトに漂う空気感ともすごいリンクしたものを感じました。

Ka:あの頃なにを参考にしていたのか全然思い出せないんですけど、その時聴いてたものをそのまま反映させたんだと思います。

—その頃には既に東京に行くことは決めていのでしょうか?

M:完全に決めてましたね。Ananが帰ってきた頃から……

A:アメリカの短大にいってたんですけど、そこを辞めて、東京で音楽したいなって思って日本に帰ってきて……。ぼく福岡出身なんですけど、とりあえず(渡米前に)PAELLASと一緒にちょっとやってたし、一回大阪行ってスタジオ入ったりしたいなと思って遊びにいったんです。そこで「これから東京行って音楽やろうと思う」って話をふたりにしたら、「じゃあ、おれらも行こうか。一緒にやろうよ」っていう感じで……。

M:ノリっすね(笑)。
でも、本当にその頃すごい考えてたんですよ、今後について。このまま同じ感じでバンドやってても意味あるのか? って。わざわざ大学出たのに就職もせず、フリーターでバンドやりながらもその頃には職場でも準社員みたいな感じになってて……。でもこまっちゃんは先に東京に行くって決めてたんよな?

Ko:PAELLAS入って割とすぐぐらいに、「東京でやりたいな」って思い始めたんですよ。まぁその時はPAELLASもほぼサポートって感じだったので、ひとりで行くつもりでメンバーにもそう伝えたんですよ。そしたらその何週間後には「おれらも行く」って言われて。「あ、そうなんや」って(笑)。

Ka:こっから3〜4ヶ月くらいお金貯める期間作るけど、「俺らも行くわ!」って。そしたらAnanも「じゃあおれもお金作るわ」って。

A:そっから福岡帰って居酒屋でめっちゃ働いてました(笑)。

—なるほど。そして4人で昨年の2月に東京に来ましたよね。東京に来てからは新たにシンセのメンバーが増えますが、その経緯を教えてもらえますか?

M:東京に来て、Ananが曲を作ってくるようになったんですけど、Ananのトラックってシンセとリズム・トラックみたいなので最初持ってくるんですよ。それをシンセがないからギターとかで鳴らすことができたらカッコいいかなって思って、そういう形を目指してたんですけど、「あ、もう無理や」ってなって(笑)。
最初は後ろで鳴ってるだけみたいな感じのシンセの音がどんどんメインになってきちゃって「やっぱりシンセないと無理だな」って思ったんですよ。
で、とあるイベントに出演した時に、そこで綿あめ作ってた女の子と喋ってたら、その子が当時在籍していたバンドが解散するっぽいっていう話を聞いて、誘ってみたっていう感じですね。
……その前はAnanが(シンセ・パート)をiPadで出してたんだっけ?

Anan:やってた(笑)。

Ka:マイク・スタンドにiPadを固定する道具を買って、Ananがギター弾きながら音出してました(笑)。

M:こっち(東京)きて、最初の3ヶ月くらいはそれでやってましたね。

—ライブの時もですか?

M:何回かやってましたね。今考えるとよくあんなクオリティでやってたなって思います。マジでヤバかったっす(笑)。

Ka:その時は4人しかいなくて、仕方ないっちゃ仕方なかったんですけど……。

M:今でこそこの界隈でもシンセ使うバンド多くなってきましたけど、その当時はあまりいなくて……。だから、こんなクオリティではヤバいぞってことに気づけなかったんだと思います(笑)。

A:バンドにシンセ入れるってちょっとダサくね?っていうのも少しあって……。

M:そう、そういうのもあったんですよ当時は。なぜか。

A:でも徐々に80’s再評価みたいなのが表立ってきて、「シンセってカッコいいな」っていうことに気づき始めて(笑)。

—そこから少し飛ぶかもしれないのですが、彼女が抜けてマサダさんが入るまでの過程は?

Ka:シンセが入ったことで勢いみたいなのがついて、2014年の夏頃に「Cat Out」の7インチをリリースしたんですよ。それから結構色々なところでライブもやって……。で、それが一段落した頃からまた低迷してきたというか(笑)。
シンセを上手くコントロールするというか、バランスの取り方で悩む時期がきて……。

M:一時期シンセ2台使ってギター無しの曲が3曲くらいセットリストに入っている時期もあって、結構迷走してましたね……。
で、その迷走していた10月くらいにちょうどシンセのメンバーが諸事情により抜けて、どうしようって考えたんです。おれら元々シンセない曲もあるし、このままガッツリシンセをフィーチャーしていく音楽性もなんか違うなって思って。それよりももっとリズムを増やしたいと思ったんですよね。それに加えてシンセの音も出しつつ……って考えたらやっぱりサンプラーしかないなって思って、それを担当するメンバーを探し始めたって感じですね。

—そこでどのようにマサダさんに繋がったんでしょう?

M:君のターンやで。

マサダ:……。

M:(笑)。でも、募集したんですよ一回。Twitterとかで。結構反応もあって、会ったりしてみたんです。でも、なんか違うな……ってなっちゃって。で、その時「そういやマサダくんおるな」ってパッと思いついて。……実はおれは募集を始める段階から「マサダくんみたいなやつおらんかな」って思ってたんですよ、キャラ的に。でもこまっちゃんには「マサダくんはリズム感ないからやめたほうが良い」って言われてたので……(笑)。

—マサダさんは元々は何の楽器をやられていたんですか?

マサダ:元々……何もやってないです。

M:いや、ギターとかやってたでしょ(笑)。

マサダ:でもそういうのは言わないほうがいいかもしれない。キャラ的に。

M:どういうことやねん(笑)。

マサダ:なんもしてなかったやつがポンっとPAELLASに入ったってことにしといた方がおもしろいかもしれない。

M:野生児入ってきた、みたいな(笑)。

マサダ:まぁ本当はギターもやってボーカルもやってたりとかもしました(笑)。で、PAELLASの面々よりちょっと早く東京来て、その頃に『Control』っていう映画を観て、Joy Divisionにハマったり、ちょうど同じ時期に話題になってたSavagesとかも良いなって思ってた時にPAELLASのことを知り、coconuts diskにCDがあることがわかったので、電話で予約して買いに行ったのが「Sugar」だったんです。

M:え? そうなん?

マサダ:うん。だから「Sugar」は元から持ってて。そしたらそれくらいのタイミングで彼らも東京来ることを知って、Twitterとかでコンタクトを取ったのが始まりで。そっからは普通にメンバーと遊んだりしてるだけの関係でした。たまにライブで映像撮ったりはしてたけど、音楽的には全然関わってなかったですね。でも、昨年の年末頃に「メンバーに入らない?」って言われて、「なにやるの?」「パッド」「うん、いいよ」っていう感じで自然に。

Ka:その時どう思った?

マサダ:いやーなんかよくわからなかったねー。一体どうなるのか。でももうかれこれ10ヶ月経ち……。

—マサダさんが入った直後って、それまであったシンセの音はどうしていたんですか?

Ka:その頃は既にサンプラーに仕込む程度の比重しかシンセに重きを置かなくなっていて‥…。今は自分がベースを弾かずにシンセを弾く時もありますけど、それはベースがない時の“抜け”感みたいなのが好きだなっていうのがあって。あとはサンプラーのシンセには出せない音の厚みを出したいっていうときには、ぼくが今弾いていますね。それもまだまだ変化し続けている途中だと思うんですけどね。

M:Ananがシンセ弾くかもしれないし、Ananがパッドでマサダくんがシンセを弾くかもしれない。曲によって変えていくつもりです。

—少し時間を遡ってしまうのですが、東京に出てきた当初、東京のインディ・シーンというか、バンド界隈についてはどういう印象を受けましたか?

Ka:その時はまだあまりインディな界隈にぼくらと同世代のバンドでガンガン出てきているやつがいなくて。だからいいタイミングだったのかもしれないですね。今年の頭くらいに来てたとしたら、結構手遅れだったかも知れないってくらい今は勢いのある同世代のバンドが多いですよね。

Anan:ぼくは大阪のシーンがどうとかわかっていないので、比べることはできないんですが、その中でもPAELLASのことは「こんな人たち日本にいたんだ」ってくらいカッコいいなって思ってて……。でも、東京に来たら同じくらいカッコいいバンドがいっぱいいて、「こんなにカッコいい人たちがいるんだ。しかも同世代で」っていうのに衝撃を受けて。それまで日本のバンドには全然興味なかったんですけど、それが変わりましたね。

M:おれは大学生くらいの人たちの中に、感性が“こっち側だな”って言う人が多いことに驚きましたね。演る側にも観る側にも。おれら大学生時代からバンドやってたんですけど、たぶん向こうの大学のなかで今の音楽性でやってたとしても、誰からもリスペクトされることなく終わったなって。「なんか変な音楽やってるな」って感じで。でも、東京ってそれが受け入れられる土壌があるというか。もちろんそれは音楽だけじゃなく、映画とかファッションとかもそうで。別に「こっちの方が優れている」っていう感じでは決してないんですけど、感性の近い若い子らが多いなっていう。Ykiki BeatとかDYGLの周りとかはまさにそうで、お客さんもみんなセンスのいい音楽を聴いてるんですよ。関西ではまずありえない。それは間違いなくいえますね。

Anan:Ykiki Beatのメンバーに彼らが在籍していた音楽サークルの卒業ライブみたいなのの映像を観せてもらったんですけど、アングラ・フォークみたいなのからJoy Divisionみたいなのもあったりして、しかも全員オリジナルなんですよ。

M:そういう土壌で育った人がいっぱいいるのに驚いたし、単純に羨ましいなって思います。関西ではほとんど仲間がいなかったので。

—なるほど。昨年の別媒体のインタビューで、既にレコーディングは進行中と語っていたと思いますが、現在の製作状況はどうなのでしょう?

Ka:年内にNiw RecordsからEPを出す予定で、もうほぼほぼ完成してます。

M:元々昨年くらいに作ってたのは完全に宅録で、自主でもいいからいつか出そうって思ってたんですけど、一旦それをチャラにして。ちゃんとスタジオで録って、今ミックスとかを自分たちでやっている段階ですね。
「Sugar」とか「Cat Out」をリリースはしているんですけど、恐らく世にあまり出回っていないので、大多数の人が2012年の一枚目『Long Night Is Gone』から止まっていると思うんですよ。そういう人たちが次出すEPを聴いたら、別バンドなんじゃないかと思うくらい変わっているハズです。

—PAELLASのサウンドはとても夜が似合うというか、MVやアートワークでも基本的には夜だったり暗めの色合いを使用していますよね。それはどうしてだと思います?

M:う〜ん、元々なんか、夜っぽいものを作りたいっておれは思ってるんですよね。というか、なんか、ある種必要に駆られているっていうか。バンドの個性として、メンバーも音楽性もコロコロ変わっていくなかで、残るのがそういうなんかよくわからないんですけど、夜っぽいところっていうか。別に暗くもないし、鬱でもないんだけど、ちょっと寂しくて、ロマンチックな感じ。そこは今後も残していきたいなっていう風に思ってますね。

—今年、出れんのサマソニ?枠でサマソニに出演しましたが、どうでした?

マサダ:みんなの熱気と、お客さんの熱気が合わさり……良くも悪くも楽しんじゃいましたね。

M:終わってから「初めて観たんですけど、すごい良かったです」とかって言ってくれて、その後も別のライブに来てくれる人とかもいて……そういう点はすごく良かったと思います。始まる前は「誰もおらんちゃうん」って思ってたんですけど、案外お客さんいてくれて。あとは……ぼくはフェスに行く事自体が初めてだったので、いろんなバンドのライブが観れて良かったです。うん……(出れサマに)出れて良かったです(笑)。

—では最後にPAELLASの直近の目標を教えて下さい

M:日本ツアーはいいので、海外ツアー……。とりあえず海外公演がやりたいですね。これが叶ったら本当に、バンドやってて良かったなって思います。


PAELLAS Information:

■Twitter
https://twitter.com/thepaellas

■SoundCloud
https://soundcloud.com/thepaella-s

■Bandcamp
https://thepaellas.bandcamp.com/

■Official Site
http://thepaellas.com

==

SPIN.DISCOVERY -Vol.03-

SD3メインビジュアル9.23

【開催日】2015 年 10 月 10 日(土)
【開催場所】渋谷 Club Asia(渋谷区円山町1-8)
【OPEN/START】14:30/15:00
【チケット料金】前売り¥3,500 (1Drink別途) / 当日¥4,000 (1Drink別途)
【出演】Norton / KiWi / JABBA DA HUTT FOOTBALL CLUB / Seiho / Tomggg /
PAELLAS / Lucky Kilimanjaro / ラブリーサマーちゃん / WONDERVER / yule
【プレイガイド】 イープラスにて発売中
【主催&企画制作】株式会社Spincoaster
【招聘】THSITIME RECORDS
【公式サイト】 http://discovery.spincoaster.com/vol-03
【お問い合わせ先】info@spincoaster.com

Spincoaster

Spincoaster

Spincoaster(スピンコースター)は、独自に厳選した国内外の新鋭MUSICを紹介する音楽情報メディアです。